2011年7月15日

木の国・根の国への旅  最後に

四日目は、この旅の一つの目的だった「那智の火祭り」に向かう。


熊野那智大社の御神体は、落差113メートルの大滝である。
縄文時代から続く、この島国の住民の信仰対象は元々「自然物」なので、山や巨木等が御神体になる例は各地にある。

その古来の信仰に、後々の征服者が自分達に都合のよい神話を被せていくので、構造が二重、三重に複雑化されているが、本来はシンプルなものだ。

この滝も間近に見上げると、御神体にふさわしい迫力と神々しさを備えている。
別格の存在感を持っているので、古代人でなくとも手を合わせたくなる。
滝の姿を表した「扇神輿」12体に、熊野の神々を乗せる。
松明に先導され、扇神輿が参道の階段をゆっくり下りて、大滝に向かう。
火祭りとは言っても、そんなに荒々しいものではなく、むしろ厳かな印象がある。


翌日訪れた神倉神社の「御燈まつり」は、同じ火祭りでも全く対照的な、荒々しい祭りだ。
残念ながら祭りは2月開催なので、観ることは出来なかったが、この神社は最も”熊野”を感じさせてくれる場所だ。
山上に向かう538段の石段は、斜度がおよそ40度以上はあると思われる急斜面で、それが巨大な龍のように、うねりながら天に向かって伸びている。

参道と言うような生易しいものではなく、手を付いて、這うように登らなくてはならない。

2月の祭りには、この石段を白装束の男たちが、松明を振り上げ、駆け下りてくるそうだが、現地に立つとそれは想像もつかないほど、神懸かりな荒業である。
御神体はこの巨岩・ゴトビキ岩
社が岩に食い込むように建っている。
祭りになると二千人の男達によって、山は火に包まれる。

この神社の御神体は巨岩であるが、ここから1時間程の所にある「花の窟神社」(ハナノイワヤ)の御神体は更に巨大で、岩と言うより山に近い。

日本書紀にこの場所の記述があるそうで、例によってイザナミノミコト等、神々の神話に関連付けられて語られているが、本来はここもシンプルな自然信仰の場所だ。

ここの祭りは、小山のような御神体に縄をかけ、それにまた花々を飾り付けるという、まるで神と綱引きを楽しむかような、微笑ましいものだ。  
この窟のすぐ横は海で、それも目の覚めるような美しいスカイブルーの光を放っていた。
予想もしていなかった程の美しさなので、しばらく見とれてしまった。

地元の人の話では、流れが速く、急に深くなるので遊泳は危険らしい。

ここが熊野の旅の最後となる。

最終日に、一番熊野らしいところを訪ねることが出来たので、幸運だった。
”熊野らしい”とは、この島国の先住民たちが持っていた、原初的な精神世界を持ち続けていることだ。
わずか五日の小旅行だったが、「熊野のエッセンス」を充分いただいたような気がする。
電車を待つ僅かな時間、小腹が減ったので駅前の小さな食堂に入り、冷たいビールと寿司の盛り合わせを頼んだ。
どうみても見栄えのしない、古びた食堂だったので、何も期待していなかったが、この寿司がとても美味くて感動した。


お陰さまで、旅の最後を気分良く締めくくってもらった。

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