2012年12月30日

龍から蛇へ

 
 本年も、もう終わりに近づいた。


 


 本物の蛇はとっくに冬眠中で、来春にカエルが現れる頃まで姿を現さないが、この間竹林を伐採したので大量の竹が積んであり、それを使って大蛇を作ってみた。


来年は蛇年だが、自分にとっては5回目の年男となる。


2013年もどうぞよろしくお願いします。

2012年12月24日

破裂した猫地蔵


 昨年暮れにあの世に逝った飼猫の遺骨を、そろそろ埋葬しようと思い、墓標としての「猫地蔵」を作った。


 が、空気が入ったか、水分が抜けていなかったか、焼成中に顔の部分が破裂してしまった。



 何とかつなぎ合わせてみたが、これでは外に置いておけないので、作り直すしかない。


                                               残念、残念。






2012年12月14日

横一文字の空

 

しばらく雨が降らず空気が乾いているせいか、夕焼けが美しい。


竹を伐採したおかげで、今まで隠れていた樹木の姿や、遠くの山並みの形が良く分かる様になった。






今日の空には、墨を含ませた筆で一気に線を描いたような、不思議な雲が浮かんでいた。






2012年12月11日

初氷












今朝は部屋の中の気温が2度だった。



前の田んぼに降りてみると、日影のところには霜が降り、先月掘った排水路に溜まった水は凍っていた。


これはおそらく、今冬の初氷だろう。


いよいよ寒くなってきた。



2012年12月9日

竹刈り

今年復田した田んぼの南側は竹林に覆われているので、下の方は常に陰になってしまう。

太陽が当たる部分とそうでない所は、米の収量がおよそ倍も違うので、仲間に協力をしてもらって伐採することにした。





高さが10メートル以上にもなる大きな真竹が、足を入れる隙間も無い程に密集している。

竹は柔らかいので切るのは楽だが、それを運びだし、燃やして処分するのに手間がかかる。
しかも急斜面での作業なので、足場に気を付けないと危ない。


山の小さな田んぼに、これだけ手間をかけて維持するのは大変なことだと、つくづく思う。


2012年11月27日

混浴温泉

タイトルが気に入って、大分の別府で開催されているアートフェスティバル「混浴温泉世界2012」に出かけてきた。




 
地域起しでアートが活用される例はとても増えているが、ここも駅前のさびれた商店街(閉鎖されたストリップ劇場もうまく使っていた)から別府の温泉街まで、様々な試みがなされている。


 美術館で眺めるアートではなく、人々が現在生活している空間での作品たちは、そこに至るまでの地元の人たちとの会話(もめ事?)まで聞こえてきそうで、また違った意味を持っている。



 そんな”社会性”を持ったアートが、今後の中心になっていくように思われる。


ここから少し足を延ばして、長崎まで行く。

 高速道路を走行中にレンタカーのアクセルが突然利かなくなり、冷や汗ものだったが何とかたどり着き、昼飯の皿うどんをいただく。



ここでは今井謙次の教会建築等を見て回ったが、ちょっと気になっていたので最後に長崎原爆資料館に立ち寄った。











最近、近所の知人から、ご本人の戦中から戦後に至る半生記を書かれた本をいただいた。


 冒頭に、終戦間際の少年期に母子3人で東京大空襲の中を逃げ回った経験が詳細に書かれており、経験した者にしか分からない壮絶な世界に圧倒された。


 民間人しかいない所に空からガソリンを撒き、10万人を焼死させた。

そんなことがこの国で本当にあったのだろうか。




 平和の時間が長く続き、今となっては想像することも難しい歴史上の事になってしまったが、ここ長崎でも同様な事が起きた。

 一瞬のうち、熱火と爆風と放射線で7万3千人が亡くなった。

 
中国からの団体客が、3メートル以上もある巨大な原爆模型の前で記念写真を撮ってた。

とても複雑な気持ちでそれを見ていたが、東京の空襲にしろ、原爆にしろ、アウシュビッツのでの出来事にしろ、人間はその時々に色々な理屈を付けて、残酷なことを平気でやってしまう。




アートを語れるのは平和の時だけである。
それが永く続いていくのを祈るばかりです。



2012年11月7日

初冬ノ海辺ノ散策




「光丼」   桃色のでんぶも眩しい
海を見下ろす食堂で、アジの酢漬け丼を注文する。

もう2時近くだったので客もまばらで、ぼんやりと窓の外に広がる海を眺めていたが、真夏のような強い日差しが目に眩しい。







食後すぐに前の海に出て、歩き始める。




昨日の強い雨と風で、浜も海も空もすっかり洗われたようで、とても清々しい。








2012年10月12日

山豚








 たぶん鴨川周辺では最も遅い方になると思うが、我家の稲刈りがやっと終わった。


秋の涼風を背に受けての農作業はとても清々しいし、仕事もはかどる。



 結局、春に復田した田んぼは永い間に有機物が蓄えられたせいか、無肥料でも一番実りが良かった。








ここしばらく姿を見せなかったイノシシも、稲が成長を始めた頃にまた姿をあらわすようになった。


少し踏まれてしまったが、それほど大きな被害は無かったので、今年は一安心。














2012年9月21日

精霊の家 二千十二





























夏の間はほとんど降らなかったが、9月に入ってから雨の多い日が続いている。

そして、ひと雨ごとに涼しくなり夏が遠のいていくようだ。

あんなに賑やかだったセミの鳴き声も、ピタリと止んでしまった。








夏の間は羽化した後の幼虫の抜け殻も、至る所で見かけた。

その抜け殻があまりにリアルで、いまにも動きそうな位、完璧な形で残されているので、いつも感心する。





しかし、抜け殻がいくらリアルでもそれには「中身」が無い。

「中身」はセミとなって、空に飛んで行ってしまった。




セミは僅か数週間でその命を終えるらしいが、

その「中身」は今度はどこへ行くのであろうか?










2012年9月14日

山形・鶴岡への旅

 
 最近興味を持っている「和洋館」を観るために、山形県鶴岡市まで出かけた。

 たまにはバスも良いかなと思って、深夜東京発に乗って行ったが、足を延ばすスペースが無くてなかなか眠れず、後悔することになった。




明治になって、政治的にも経済・文化的にも急速に”西洋”を取り入れることを要請され、建築にもそれが求められた。
当時、それを担ったのは建築家では無く「大工」である。

寺社仏閣を頂点とする、この国の伝統的な建築を代々受け継いできた棟梁たちが、突然侵入してきた”西洋”にどのように対応してきたのか?

これらの建築を見る時の最大の興味はそこにある。



しかし、結果だけ見ると”楽々と呑み込んでしまった。”ように感じてしまう。

”楽々”と言ったら怒られてしまうだろう。 当然、いろいろな苦悩があったのは想像できる。

それでも実に柔軟に、楽しげに「西洋」を飲みこんでしまうその姿に、感心させられる。





和洋折衷と言うがこの「折衷」する力こそが、この民族の一番得意とするところではないだろうか。

異物を排除するのではなく、飲み込み、消化して自分の肉体とし、ぬけぬけと自分のものにしてしまう、そんな強力な胃袋を持っているのではないか。

私にはその「ぬけぬけ」としたところが、とても心地よい。


これは映画「おくりびと」で使われた建物。昔は料亭だったようだ。





旅の最後に羽黒山に登った。

境内には東日本大震災の犠牲者を弔う場所が設けられていた。

犠牲者の名が書かれた卒塔婆が無数に並び、それを取り囲むように真っ赤な風車が、せわしく回っていた。