2012年9月21日

精霊の家 二千十二





























夏の間はほとんど降らなかったが、9月に入ってから雨の多い日が続いている。

そして、ひと雨ごとに涼しくなり夏が遠のいていくようだ。

あんなに賑やかだったセミの鳴き声も、ピタリと止んでしまった。








夏の間は羽化した後の幼虫の抜け殻も、至る所で見かけた。

その抜け殻があまりにリアルで、いまにも動きそうな位、完璧な形で残されているので、いつも感心する。





しかし、抜け殻がいくらリアルでもそれには「中身」が無い。

「中身」はセミとなって、空に飛んで行ってしまった。




セミは僅か数週間でその命を終えるらしいが、

その「中身」は今度はどこへ行くのであろうか?










2012年9月14日

山形・鶴岡への旅

 
 最近興味を持っている「和洋館」を観るために、山形県鶴岡市まで出かけた。

 たまにはバスも良いかなと思って、深夜東京発に乗って行ったが、足を延ばすスペースが無くてなかなか眠れず、後悔することになった。




明治になって、政治的にも経済・文化的にも急速に”西洋”を取り入れることを要請され、建築にもそれが求められた。
当時、それを担ったのは建築家では無く「大工」である。

寺社仏閣を頂点とする、この国の伝統的な建築を代々受け継いできた棟梁たちが、突然侵入してきた”西洋”にどのように対応してきたのか?

これらの建築を見る時の最大の興味はそこにある。



しかし、結果だけ見ると”楽々と呑み込んでしまった。”ように感じてしまう。

”楽々”と言ったら怒られてしまうだろう。 当然、いろいろな苦悩があったのは想像できる。

それでも実に柔軟に、楽しげに「西洋」を飲みこんでしまうその姿に、感心させられる。





和洋折衷と言うがこの「折衷」する力こそが、この民族の一番得意とするところではないだろうか。

異物を排除するのではなく、飲み込み、消化して自分の肉体とし、ぬけぬけと自分のものにしてしまう、そんな強力な胃袋を持っているのではないか。

私にはその「ぬけぬけ」としたところが、とても心地よい。


これは映画「おくりびと」で使われた建物。昔は料亭だったようだ。





旅の最後に羽黒山に登った。

境内には東日本大震災の犠牲者を弔う場所が設けられていた。

犠牲者の名が書かれた卒塔婆が無数に並び、それを取り囲むように真っ赤な風車が、せわしく回っていた。