2011年4月24日

やっと雨が


昨日は久々にまとまった雨が降った。


3月以降ほとんど雨らしい雨が降らず、「春にこれだけ降らないのは14,5年ぶり」、と村の人は言っていた。



おかげで田んぼの準備が一向に進まずヤキモキしていたし、田も干からびてせっかく生まれたオタマジャクシも全滅か! というところまで行った。



これだけ雨を恋しく思うのは、山の中で米作りをしているからであり、以前の都会暮らしではとても理解できないだろうな、とつくづく思う。



・・・・・・・・・・・・・・・・

2011年4月13日

転生と終末

 待望のヤン・リーピンの舞台を観てきた。

チベット仏教の「輪廻転生」をベースとして、総勢80名ほどの中国少数民族の若者たちが、華々しく歌い踊る。

死と生が途切れることなく続いていく再生の物語は、誰にも分かりやすく表現されていて、しかも心に滲みる。

肝心のヤン・リーピンの出番がとても少ないのが不満だったが、その美しさと存在感は圧巻だった。

彼女が舞う”菩薩”の姿は神々しさとエロスが合体したようで、とても印象深かった。



映画『100000年後の安全』より。


一方、同じ日に見た映画「10万年後の安全」は、再生されることの無い闇の世界の話。


フィンランドの地下500メートルに建築中の、この地底都市は核廃棄物の墓場である。


10万年の間保管しなくてはならないとされる高濃度放射性廃棄物(日本では今、海に流している。)の処理施設を、淡々と描いているこの映画から伝わるのは、虚しさだけ。



人間は現生から来世にまたがる豊饒な世界を描くこともできるし、出口の見えない終末の世界も作ってしまう。

どのような道を選ぶか、今は選択の時代に入っている。


・・・・・・・・・・・・・・・・

2011年4月4日

悲喜劇

いつも新聞の集金に来るオジサンが、珍しくサザエを10個ほど手土産として持ってきた。
その場では礼を言って受け取ったが、ふと福島の原発から一日7,80トン垂れ流しになっている、放射能汚染水のことが頭に浮かび、食欲が失せてしまった。


「放射性物質の拡散を食い止めるにはあと数ヵ月かかる(!)」、と政府側から発表があった。
この状態があと数ヵ月続くとは・・・・・・・ 

”直ちに健康に影響がない”ことも、数ヵ月続いたら累積の放射線量は一体どれくらいの量になるのか?



先日の報道では、”新聞紙”や”入浴剤”まで投入して汚染水の流失阻止に動いているとのこと。
現場のなりふり構わぬ狼狽ぶりが伺えるが、何やら笑えぬコントを見せられてるようで、複雑な気持ちだ。


福島の農家では米の作付準備の時期に入り、このまま米作りを始めても良いものかを論議しているところらしい。 
折角作っても、”汚染米”のレッテルを張られる危険性は充分にある。

米は年に一回しかできない。
今準備が出来ないとなると、今年はコメが作れなくなる。


これは米農家にとっては間違いなく悲劇である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・