2010年12月31日

暮れの夕日



うちの縁側は夕日の名所、となっている。
デッキも出来たので、ますますその価値が上がったかな! と思う。




   今年も最後の夕日が沈む。


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2010年12月26日

大根マダム







昨日、隣りからいただいた野菜の中に、こんな方が紛れ込んでいました。



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2010年12月25日

「ヤン・リーピン」に感動する


中国の雲南省出身で、国宝級のダンサーと呼ばれているヤン・リーピンが、来年4月に東京公演を行うという新聞記事を最近見た。


残念ながら私はこの人のことを全く知らなかったのだが、新聞記事に載っていた彼女の踊る姿がとても気になり、早速チケットを予約してしまった。






その翌日になってから、ユーチューブで彼女の映像を探し、何本かその舞踏を観ることが出来た。



圧倒されたとは、まさにこの事である。



まるで別の生き物が、その肉体にとり付いたかのごとく、今まで見たことも無い踊りに目が釘付けとなった。


その美しさと、表現者としての圧倒的な存在感が、映像から強烈に伝わり思わず胸が熱くなった。




彼女の来年の舞台を、楽しみに待ちたいと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=kwFHA7DjQcU&feature=related



2010年12月24日

ヌカまき

ここは海に近いせいか、時々強い風が吹きまくり、
庭に置いてあるものが良く飛ばされる。



今日は朝から風が強かった。




田んぼに米ぬかを撒いたが、あまりに風が強くて外に飛んで行ってしまうので、
途中であきらめた。

本当はもっと早い段階で撒かなくてはならないのだが、なかなか思うようヌカが手に入らなくて、今日になってしまった。

2010年12月23日

冬の田に水を張る

 
このブログへの投稿も、ずいぶんと間が空いてしまった。


毎日のようにやるべきことに追われているので、書く事が無くなってしまった分けではないが、
こちらでの定住生活も二年ほど経って、日々の出来事が定番化しつつあり、以前ほどは新鮮な目で見れなくなっているのかも知れない。





昨日は結構雨が降ったので、田んぼは満水状態だが、二枚のうち上の田はどうしても水が抜けやすいので、半分ほど鍬でシロカキをした。


二、三日様子を見て、また抜けてしまえば対策を考えなくてはならない。


この田での稲作は来年が3回目になるが、「不耕起栽培」を取り入れて、無農薬、無肥料でやっていくのを目標としている。

今年は収量がかなり落ちてしまったので、来年は色々やり方を考えて”倍増”させたい。



2010年11月27日

虫と目が合う ・・・・・・ 稲子


今年は例年になく、田んぼにたくさんのイナゴが飛び回っていた。

稲の葉をかじるので「害虫」にされているが、それほど極端な被害は出なかった。











写真を撮ってやろうとゆっくり近づいたところ、彼が突然こちらに振り向いた。

その時に、私の目と彼の目がしっかりと合ったのである。

相手も逃げ出すわけでもなく、互いにしばらくそのまま見つめあう形となった。





このように”虫と目が合う”という経験は無かったので、とても不思議な時間であった。











2010年11月13日

棚田ネットワーク


 NPO法人棚田ネットワークが主催する「第5回東京棚田フェスティバル」に出掛けてきた。

 全国で棚田の保存運動している組織が沢山あり、それをまとめているのがこの棚田ネットワークになる。




 遠くは福岡、高知からも参加していたが、鴨川からは大山千枚田の代表が来ていた。

 午後からは各地域の方が集まりシンポジウムが開かれ、私も参列させてもらった。

 それぞれの地域で棚田の存続のために、様々な取り組みが行われていて心強く思ったが、最大の課題はやはり実際に田んぼを耕作する”担い手”の確保だった。


 これについては、決め手となる解決策は今のところ見当たらない。

 それぞれの地域が、それぞれに工夫をして乗り越えなくてはならない、参加者の話をお聞きして改めて思った。


 なかなかの難問であるのは間違いないが、これに見通しがつかないと棚田も”山林”に戻るしかなくなる。

2010年11月11日

棚田は残せるのか・・・・

  そろそろ季節は秋から冬の入口に近づいてきました。

棚田も秋の田起こしを済ませ、ひっそりとしています。


この太平洋を見下ろす風光明美な棚田も、あと何年くらい生き残っていけるのか・・・・・・?

高齢化による離農がここでも進んでいるので、この田んぼを耕作していく人がどんどん減っている。
鴨川市による「棚田オーナ制度」によってその”延命”を図っているが、肝心の耕作者がいないとそれも続かない。


山の田んぼを農業という生産の場ととらえると、条件が厳しいので難しいなと思うが、ここを都市住民などの農業体験、あるいは交流の場として活かし、多様な人たちが集まり楽しい雰囲気が出てくれば、新しい可能性が少しは見えてくるような気がしている。


地元の人たちだけに負担を求めるのではなく、よそから来た人たちも一緒に、ここの維持、活用を考えてみよう! ということで「鴨川二子棚田保存会」を起こすことにした。


内容については、これから有志の方と詰めていかなくてはならないが、出来るだけ多くの方の参加を望みたい。

2010年10月31日

足踏み4時間。



台風が来る前に終わらせたいと思ったので、一昨日から脱穀を始めた。         


近所の農家に譲ってもらった足ふみ脱穀機を修理して、今回が初めて実戦となる。        

フレームがかなり白アリにやられていたのでどうなる事かと思ったが、期待以上の働きを見せてくれた。


一反程度の田んぼなら、この脱穀機で十分対応できるように思う。

2010年10月23日

これでお仕舞い


  夏の間格闘してきた田んぼ周辺の草々も、今はすっかり秋の装いとなり、優雅さを感じるほどである。


夏から秋への季節の移り変わりは、毎年このような姿を見せてもらうことで、納得出来る。











この作品も手掛け始めて一年半になる。
少しづつ付け加えることで、当初は鉄の枠組みだけだったものが、このように変貌してきた。


持っているテーマは(下の文章を参照してください)変わらないが、感じたことの表現方法が少しづづ変化している。


ただ、もうこれ以上は止めにして、次の作品に向かいいます。




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草や木、虫や魚、カエルやイノシシ、そして人間も、
あらゆる存在物が「スピリット」でつながっている。

生でも死でもない、エネルギーの連続体の中に無数の
「スピリット」が住んでいる。

そんな、現れては消滅してしまう「スピリット」の仮の宿を
表現する。

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2010年10月10日

雨上がりの夕方

  二日続けての雨で、村祭りの御輿が出せなかった。

 この時期に、これ程雨が降ることは少ないので、御輿が出せなかったのは20年振りらしい。

 仕方なしに、集まった村の衆は小さな神殿の一角で酒盛りとなった。
集まった顔触れは毎年同じだが、30代が一人いるだけで、後は60代、70代が中心となり、平均すれば60半ばとなる。

 日本の農業を支える世代の縮図と言えそうだが、本当にこの後に続く世代が、ここにも居ない。
 この御輿も、担ぎ手が居なくなるのは時間の問題だ。


 
  あれほど降った雨も夕方にはすっかり止み、晴れ渡った空には夕刻の太陽が、雲をピンク色に染めていた。

 晴れ間を待って出発した子供達が引く山車が、太鼓の音を山々に響かせていた。



 晴れて良かった。

                     
                     

2010年9月30日

品種を考える・・・・・・・


 この辺りで育てる稲は「コシヒカリ」が普通なので私もそれを選んでいるが、今年は試しに隣人が作っている「とよのさと」という品種を、少し分けてもらい植えてみた。


 写真では分かりづらいかもしれないが、手前の黄色くなっているのが「コシヒカリ」、奥のまだ青いのが「とよのさと」である。

 同じ時期に植えたものだが、見ての通り大きさがまるで違うし、茎の太さ、実の多さもはっきり違う。




 コシヒカリに比べて食味は劣るらしいが、化学肥料、農薬に頼らない農法で育てるには品種も考えなくては・・・・・とこれを見て考えさせられた。

 

2010年9月23日

あいちトリエンナーレ

 
 今は午後10時で、気温は18度。

 昨日まで愛知にいて、連日30度を超す天気だったので
まるで別世界のよう。


 今回の旅の目的は友人を訪ねることと、六古窯の一つである常滑へ行くこと、そしてこのあいちトリエンナーレを観に行くことである。



 今は色々な地方でアートの祭典が行われるようになったが、名古屋という大都市の街中で開催されることは少ないと思う。


 古い問屋街に点在している空きビルを利用して、様々な展示が行われていたが一番驚いたのは地図を手にしながら、それぞれの会場を見て回る人の多さである。

 家族連れからシニア層まで幅広い人たちが、熱心に参加して(それも暑い中!)いるのをみて、意外にもアートに対する興味を持っている人が多いことに感心した。

2010年9月15日

「THE  HOUSE  OF  SPIRITS」



 



         高さ 2500 幅 2600 奥行 2200mm
素材 自然木 鉄 古布など 

   この1ヵ月は公募展に出品する作品作りに没頭していたので、裏の田んぼにさえ行かず、稲の状況がどうなっているのかも分からない有様である。

 今回は粘土を使わない作品となったが、テーマとしては今までの延長である。

 東北地方に伝わる民間信仰に「オシラサマ」という神様がいる。

 木の枝に何重にも布を巻きつけた人形が信仰の対象になるのだが、今回はそれも意識して取り入れている。



(以下の文章は制作意図ととして、作品に添付したもの)

                                                                                  まだ国家が成立する以前、そして人と自然との間に亀裂が生じる前の世界に暮らしていた、この国の先住民(縄文人)たちに思いを馳せている。


 現代の分断された空間や時間ではなく、空も大地もあらゆる生き物達もが有機的につながり、時はらせんを描いてゆっくりと再生していく。


 そのような世界で生きていた彼らは、土器という形でその世界を表現していたが、その創作のテーマは「死と再生」であったと想像している。


 死と生が常に隣り合せで、いつでもその両方の世界を往復できるし、自分と他の生物たちとも常に往来が可能な世界には、名前も形も無い“SPIRITS”たちが満ち満ちていたことだろう。


 それらを失ってしまった現代に、もう一度豊饒な世界を取り戻すための“道標“をテーマとした。



2010年9月5日

「甦る縄文の思想」  梅原 猛 ・ 中上 健次


 もともと小説はあまり読まない方だが、20代の頃、友人に勧められて読んだ「中上 健次」にハマってしまい、彼の作品はほぼ全部読んだと思う。

 彼の作品の舞台となった和歌山県へ、わざわざ出かけたこともあり、若き日の良き思い出につながっている。




 彼の小説の魅力は、描かれている人間のうわべの化粧を全部はぎ取って、生々しい「人間の原型」とも言える、骨太な登場人物のドラマが溢れかえっていることである。

 精神的に去勢されてしまったような、現代の都市生活者とは対極に位置する中上の世界は、すでに若くして亡くなって20年近くなるが、まるで色あせることがない。



 この本は、1985年に梅原 猛と青森のねぶた祭りに参加した際に行われた対談集だが、偶然に図書館で見つけ初めて読むことになった。


 彼が縄文について強い関心を持っていた事は、今回初めて知ることになったのだが、”縄文的思想”というものがあるなら、中上健次は間違いなくその継承者の一人である。


 数十年ぶりに、彼の作品を読み返してみたくなった。

2010年8月18日

今年もイノシシが・・・・・・・

   稲に小さな白い花が咲き、ようやく穂が出てきた。
全体の出来は去年の7割程度だが、何とか今年も米が獲れそうだ。


 市内の田んぼでは先週末あたりから、もう稲刈りが始まっているがこちらは10月末の予定でいる。






 今年も案の定、イノシシが出現したので無粋ながら電気柵を張り巡らした。


 イノシシに限らず、獣の数は年々増えているようだ。

 耕作放棄地が増えるので、獣の住処も増える。増えた獣が作物を荒らすのでまた耕作放棄地が増える。
 こんな悪循環で里山が荒れてしまう。 



2010年8月16日

1st KOZUKA ART FESTIVALが終わる

                       















   コズカ アート フェスティバル2010も昨日で終了となったので、本日は作品の搬出に出かけた。

 今日は朝から猛烈な暑さで、小一時間の作業でたっぷりと汗をかくことになった。





 この展覧会が、鴨川で始めた制作のデビューとなったわけだが、これを機会に今後は定期的に作品の発表を続けていきたいと考えている。




 今回の展覧会に、わざわざ足を運んでいただいた皆さんに感謝します。

2010年8月9日

ふたたび諏訪へ

   長野に用事が出来たので、今年の4月に引き続き諏訪へ行くことになった。  

 最初に訪れたのは、中央高速のパーキングエリアから直接行くことができる「釈迦堂遺跡」。

 この遺跡は高速道路を建設中に発見された、かなり大規模な縄文中期の遺跡で1000体以上の土偶が見つかったことでも有名である。                      
             
                   


  大型土器も数多く展示され、その質も大変高いし、土偶もバリエーションに富んでおり、表情が豊かである。


 前回訪れた遺跡からも感じたことだが、とにかくこの地域は縄文が”濃い”!。         

 質も量も豊富で、この富士山を囲む広いエリアが縄文時代の中心地だったのではないだろうかと思わせる。
                       


  長野はとても広大で、山道ばかりなので、一度で色々なところを廻るのはとても難しい。    
 
 他にも幾つか興味を引かれる遺跡があったが、時間的にきびしいので断念し、今回の旅の目的である茅野市美術館へ向かった。


 4月に「御柱祭」を観に来た時に、古代より諏訪神社の神長官を務めている守矢家の史料館を見学したが、自然素材や植物を多用したその独特な建築物がとても印象に残っていた。

 これを建築設計した藤森照信氏の展覧会が茅野で行われると知り、大変興味を持ったので出かけることになった。


                        藤森照信展











  このブログの中では詳しく紹介できないので残念だが、期待していた以上の内容で、日本にこのような建築家がいたことを知り大変うれしくなった。

 この地域に生まれた同氏には、やはり”縄文的”な精神が息づいているように思われる。

2010年7月29日

ひさびさの雨




  数週間ぶりの雨が降る。

 乾き始めていた田んぼも、やっと潤いを取り戻す事が出来た。


 梅雨の間は疎ましく思っていた雨も、猛暑が続いていたので、ほっと一息つく気分である。      
                                         

     
         

                                                                        
                                                       
                                                                                            

   雨の中を、傘をさして野菜の収穫をする。
           トウモロコシも間もなく採れるだろう。




  



  


2010年7月16日

浮草



今,田んぼの半分は浮き草に覆われている。



 稲にとってそれが良い事なのかは分からないが、水面から下に光を通さず、他の草の成長を抑えると思うのでそのままにしている。






 
 その浮き草の上が、小さなカエルが運動場になっている。



 
 そして、それを狙うマムシが水面を徘徊している。

2010年7月14日

花の蓋が付いた壺  その弐