2011年7月8日

湯のように

2005年に岡山県・朝寝鼻貝塚でモミが見つかってから、稲作は6500年前の縄文中期から始まったのではないかと言われている。




 もっともその頃の稲作は、焼き畑農業のようなものだったので、現在のように田んぼに水を入れる「水稲栽培」の技術は、弥生以降にもたらされたようだ。




 水を入れた田んぼには、雑草・連作障害の防止、温度の安定化などの効果があり、米作りにとっては画期的な技術だったので、弥生以降は飛躍的に生産量が増加したと思う。




 ただし、文化的には稲作が普及する前の、縄文時代の方がはるかに豊かだった。
残された土器などを比べてみれば、その成熟度、精神性の高さに圧倒的な差がある。


 おそらく、稲作が普及するにつれて生産の”効率性”が意識され、縄文人が持っていた独特の”創造性”が希薄になったと思われる。


 そして、それは現在にまで繫がっている・・・・・








 この時期、天気の良い日に田んぼに入ると、水があまりに温かくて驚くことがある。


おそらく40度近いぬるま湯になっているので、原種が熱帯性の植物である稲にとっては心地よいことだろう。


 しかし、水に強い周辺の草も一緒に成長するので、これから何回かは、草取りが欠かせないことになる。



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