地域起しでアートが活用される例はとても増えているが、ここも駅前のさびれた商店街(閉鎖されたストリップ劇場もうまく使っていた)から別府の温泉街まで、様々な試みがなされている。
美術館で眺めるアートではなく、人々が現在生活している空間での作品たちは、そこに至るまでの地元の人たちとの会話(もめ事?)まで聞こえてきそうで、また違った意味を持っている。
そんな”社会性”を持ったアートが、今後の中心になっていくように思われる。
高速道路を走行中にレンタカーのアクセルが突然利かなくなり、冷や汗ものだったが何とかたどり着き、昼飯の皿うどんをいただく。
ここでは今井謙次の教会建築等を見て回ったが、ちょっと気になっていたので最後に長崎原爆資料館に立ち寄った。
最近、近所の知人から、ご本人の戦中から戦後に至る半生記を書かれた本をいただいた。
冒頭に、終戦間際の少年期に母子3人で東京大空襲の中を逃げ回った経験が詳細に書かれており、経験した者にしか分からない壮絶な世界に圧倒された。
民間人しかいない所に空からガソリンを撒き、10万人を焼死させた。
そんなことがこの国で本当にあったのだろうか。
平和の時間が長く続き、今となっては想像することも難しい歴史上の事になってしまったが、ここ長崎でも同様な事が起きた。
一瞬のうち、熱火と爆風と放射線で7万3千人が亡くなった。
中国からの団体客が、3メートル以上もある巨大な原爆模型の前で記念写真を撮ってた。
とても複雑な気持ちでそれを見ていたが、東京の空襲にしろ、原爆にしろ、アウシュビッツのでの出来事にしろ、人間はその時々に色々な理屈を付けて、残酷なことを平気でやってしまう。
アートを語れるのは平和の時だけである。
それが永く続いていくのを祈るばかりです。