本来ならば4月に、北東北へ縄文の遺跡を巡る旅の続きをするつもりだったが、今回の震災で延期となってしまった。
数十年前にも訪れたことはあるが、その時は私の愛読書であった、中上健次氏の生まれ故郷に行くためだけの短い旅だった。
紀伊半島は人を寄せ付けるのを拒むかのような、厳しい峰々が連なった土地である。
それ故に京の都に近い場所にありながら、神々の棲む場所として、信仰の対象として永らく信じられてきた。
ヤマトの国家が出来る以前の、縄文的な精神世界は、すでに何重もの厚いカーペット下に隠されているので、簡単にはそれをうかがい知ることは出来ないが、東北と並んでここ「熊野」は、それを感じ取れる可能性のある貴重な場所である。
第一日目は、空海が信仰の聖地を求めた高野山に向かった。
切り立つ山々の間を、登山列車は鉄輪を軋ませながら、ゆっくりと登っていく。
終点からさらに急斜面をケーブルカーで登り、そしてまた山道をバスで上がっていく。
しかし、たどり着いたところは、それまで目も眩むような急な山々を通ってきた事が信じられないような、何ともアッケラカンとした平らで、穏やかな町だった。
この山岳都市に真言密教の117の寺と1000人の僧侶が暮らしているが、このような場所をよくぞ捜し当てたものだと感心する。
真言密教の教えの中心にあるのは「大日如来」=宇宙を成り立たせているもの、であるが、その教えを具体的な形に表したのが、この根本大塔である。
この中には、大日如来を中心とした諸仏が収められているが、この塔その物も大日如来の姿を表している。
空の青さと、塔の朱色のコントラストが目にも鮮やかで、その明るい存在感が、太陽を象徴するこの如来のパワーを感じさせてくれる。
この宗教都市の一番東の奥には、現在も空海が永遠の瞑想を続けているとされる御廟があり、そこへは毎日食事が運ばれている。
ここで修行僧に短い説法を聞いたが、空海の姿を見たという話は色々と伝わっているようだ。
誰も居ない、この御廟の前にしばらく座っていたが、静けさの中で僅かに清流の水音が聞こえ、いかにも神聖な場所と感じた。
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