2011年12月27日

ながい眠りに




昨夜は外でパラパラと音がしていたので、雨が降り出したとばっかり思い、そのまま眠りに就いてしまったが、翌朝、庭を見てビックリ。

あられだった。




今年はとっても冷え込む。

深夜から早朝にかけては道路も凍るので、事故も多いらしい。







夜明け前に電話があった。

18年近く一緒に暮らした飼い猫が、永い眠りに就いた。


心臓が弱っていて、薬を飲み続けていたが限界が来たようだ。

まるで、何時ものように眠っているとしか見えなかったが、私が到着したときにはもう顔が冷たくなっていた。










元々、一日のほとんどを寝て暮らしていたので、寝ている姿が一番自然に見える。 
だから、また突然目を覚ましそうだけど、もうそれは無いようだ。



永い間ありがとう。




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2011年12月20日

ラッキー ドラゴン

出発は2012年1月1日・日の出前の予定なので、まだ10日ばかり先になるが、我家のドラゴンはすでにテスト飛行も終了し、発射を待つばかりとなっている。

今年は大震災、原発事故に加え、世界の経済状況も混迷していて重苦しい一年だったが、来年はこのドラゴンが世界にハッピーとラッキーを振りまくだろう。(予定)















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2011年12月15日

ぐるぐるのツボを背負って歩むクモ






















円は始まりがあって、終わりがあり、一つの形として閉じていく。

ぐるぐる回る螺旋形は、始め無く終わり無く、永久に回転し続ける。


小さなクモも現れては消え、しかも常に姿を変え続け、同じようで同じでない。



終わり無く、同じで無く、回り続ける、それを"無常"と言うのかな?




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2011年12月8日

12月の海

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いつもの山上から海を眺める。

鼠色の雲の隙間から、一筋の光が射し、海面を光らせる。

いつもの風景は、劇的な場面に変わり、最初のセリフを語り始める。


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2011年12月5日

わらを切る

しばらく雑用に振り回されて田んぼをほっておいたら,畦をイノシシに荒らされて、随分と崩されてしまった。



もう稲刈りから1ヵ月以上経っているのに、今頃になって藁を切って田んぼに播く作業を行った。


12月としては暖かい一日で、黙々と藁を切っては播く単調な作業が、身体には心地良かっ
た。

2011年11月11日

ふり返り猫

元漁師で昔堅気





18年前に子供が拾ってきて以来、我家の飼い猫となっていた彼がいよいよ年を取って、食べ物も口にしなくなった、と聞いて東京の家まで様子を見に行ってきた。


医者に見せたところ、このままでは1週間から10日の命と言われたそうだが、家族が医者からもらった薬を与え続けたところ、食欲が出てきて少し元気になってきた。


私の母親は90歳だが、多分彼もそれと同じ位の歳になると思う。

最近の猫は、20歳以上の寿命があることも珍しくないそうなので、この調子でまた健康を回復してくれる事を祈るのみだ。


















2011年11月1日

富国式


山の草たちも、すっかり秋の装いになってきた。


ちょっと見ると、草の種類はあまり変わり映えしないように見えるが、夏の草と秋とは大きく変わってくる。


あんなに勢いが良かった夏の草達が影をひそめると、本当に季節の移ろいを感じる。







やっと脱穀も終わり、今年の稲作は終了した。

今年も、「全国農機具共進会金杯受領 富国式B型」足踏み脱穀機が大活躍。

2日間踏み続けたが、だいぶ慣れてきたせいか、それほどシンドクはなかった。


2011年10月24日

稲刈りも終わり







今年もやっと稲刈りが終わった。








9月の大型台風で複雑に倒れた稲を、起こしながらの作業だったので、思った以上に時間がかかってしまった。

若い衆の手伝いが無かったら、途中でめげていたかもしれない。





ここを借りての稲作は3年目になるが、肥料も農薬もやらず、ろくに面倒もみていないのに、チャンと収穫が出来るようにしてくれるのだから、米と言う作物は大したものだ。



オツカレ!

2011年10月18日

精霊と曽根崎心中


NY在住の現代美術家杉本 博司氏が、文楽「曽根崎心中」を、大胆にリメイクして公演を行ったことをテレビの番組で知った。

テレビの小さな画面で、しかもその一部を放映したものを観ただけだが、文楽の既成概念を大きく打ち破りつつも、大変感動的な演出となっていた。

ぜひ生で観てみたいが、3日間だけの公演で終わってしまったようだ。


彼が写真を使ったアーティストであることは知っていたが(その作品もとても興味深い物だ)、文楽の演出まで行うなど、古典に対する深い知識とその才能に驚いた。




番組の中で縄文時代を取り上げていて、「縄文人が持っていた感性を現代に表現する」と語っていたのが印象に残った






3年前に作った作品を再び引っ張り出し、それに台座を付けたした。

古布をちぎり、鋲で張り付けることを何度も繰り返し、台座部分と本体とを銅や真鍮の線で固定する。

タイトルは以前と変わらず「精霊たちの家」。


杉本氏を引き合いに出すのは恐縮ものだが、私も「縄文人が持っていた感性を・・・・・・」のつもりだ。

2011年10月8日

ジョウモンの旅 - 北東北編④

さすがに青森はリンゴの町。
街道沿いに延々とリンゴ畑が広がり、そのスケールの大きさに驚く。

丁度今は収穫期を迎えたようで、甘い香りが辺りに漂っている。
(宿の風呂にも、リンゴが沢山浮かんでいた。)



そんなリンゴ畑を横目に見ながら、5,6日目は岩手県に入る。

北東北と北海道の南部を、縄文文化をテーマにした世界遺産に登録させたいらしく、この地域で色々運動をしているようだ。
資料館なども新築・改装されたところが多く、力の入れ具合が良く分かる。


よく縄文は日本の”基層文化”である、という言い方をされるが、本当にそうだろうか?
確かに、この島国の先住民は縄文人であるから、見えない地下水のようにその影響はあるのかもしれない。

しかし、現代のどこを見渡してみても、縄文をベースにした文化の産物など探すのは難しいし、むしろ弥生以降は全く別の文化が支配したと考えた方が良い。

「縄文の神」と「弥生の神」は全く別物だ。


それでもあえて探すとなると、日常を離れた風俗習俗の中に、ひっそりと生き残っているものに注意を向けるしかない。
オシラサマ
それは最初に取り上げた「ナマハゲ」だったり、この地域で続けられていた「オシラサマ」などのような民間信仰の中に、その片鱗が息づいていたように思う。 


遠野盆地
山々は日を受け明るく、田も黄金色に
輝やき美しい場所だった。
縄文的なものとそうでないものとは、一体どこで線引きをするのか?
これは自分でも、ハッキリと言葉で表すのは難しい。

”自分を取り囲む、見えない力に対して有機的な関係を持っているかどうか”・・・・・  小難しく言えばそんなところになる。


作品の題名にスピリッツ(精霊)の文字を入れることが多いが、それも「見えない力」を意識してのこと。

悪路王とされた蝦夷のリーダー「アテルイ」
旅の最後に北上市にある「鬼の館」に寄ってきた。

東北には沢山の鬼がいる。
ナマハゲももちろんその仲間だが、北のエミシたちは全て鬼にされたのではないか。
「ススカ」
ナマハゲと似た存在だが
こちらは大船渡に現れる。
縄文的なるものを求めて、6日間で2.500キロを足り回ったのでだいぶ疲れた。
見たいものが沢山あるので、ついつい盛り込みすぎる。

でも東北にはまだまだ面白い物が、コロがっていそうな気がする。
次回は的をもっと絞ってから訪れたい。  

2011年10月6日

ジョウモンの旅 - 北東北編 ③

三・四日目は青森に入る。

いくつもの遺跡、資料館を駆け足で見て回っているので、だいぶ頭が混乱してきた。











津軽地方は、このような明治・大正に建てられた洋館が多いそうだ。
縄文とは全く関係ないが、和洋折衷のこのような建物に最近興味を持っている。

和と洋を独自にミックスしているところが面白い。

機会があれば、そのようなものも見て回りたいと思う。

津軽平野のどこからも、この岩木山が見える。
そしてこの山の周辺に、沢山の遺跡が残されている。



クマ
イノシシ



八戸の「是川遺跡」からは、縄文晩期の土器・土偶が数多く出土している。
一般的に縄文晩期の出土品は「亀ヶ岡式」と呼ばれるが、技術的にも高度であり、繊細なデザインのものが多い。

漆を施したものも沢山あり、色彩、形、技術などが結集し、これらが縄文土器のひとつの到達点であるともいえる。

ただ、縄文中期にあった妖しげなでダイナミックなところが薄くなっているので、私にはやや不満である。
                
国宝となった”合掌する土偶”は
別室で厳重に管理されていた。






西洋の冠を思わせるようなデザイン
非常に薄く焼き上げているので、実用品
ではなく、別の用途があったと思われる。




2011年10月4日

ジョウモンの旅 - 北東北編 ②

各地で出土したもので一番良い物は、その地域の県立博物館にあることが多いので、どうしてもそこは外せない。
そこで翌日は「秋田県立博物館」に向かった。


今まで数多くの縄文土器・土偶を見てきたが、それでも「こんなものもあるのか!」という驚きの出会いも少なくない。

この島国の各地で、1万年以上も続いてきた文化なので、その全てを知ることなど出来る分けもないが、豊かな創造性には毎回、感嘆させられる。








通常どの博物館も時代順に展示されているが、ここも旧石器時代に始まって、縄文→弥生→古代(古墳時代)と並んでいる。
その古代の展示ブースにサブテーマのパネルがあり、そこに「進出する国家、抵抗するエミシ」と書かれてあった。

縄文人の末裔である古代蝦夷の人々・・・・・。

どうも最近は縄文より「古代蝦夷」の方が気になっている。
なぜなら文献上は確かに存在していた人々なのに、その存在を示す資料がほとんど無いからだ。

どんな服を着て、何を食べ、どんな道具を持ち、どんな文化を作り上げていたか、ほとんど何も無いに等しい。
この博物館でも日本書紀などの文献に、蝦夷の記述があるのを紹介する程度で、その実態はほとんど何も分からない。
ここのパネルにあったように、進出するヤマト朝廷に完全に駆逐されて、歴史上から抹殺されてしまったかのようだ。

実際は陸奥の安倍氏、出羽の清原氏、そして平泉藤原氏四代へと、エミシの流れをくむ者たちの歴史も存在するのだが、その中身については何れまた探ってみたい。



大館市郷土博物館の「ニンギョ」


大湯ストーンサークル