・・・かねてよりこの南房総という土地に心引かれ、鴨川市二子という村で築百数十年の古農家に出会い、ここに居を構える。 この村でより土に近い生活を送りながら、ここで出会った”神々”達と心を通わせ、その姿を様々な形で表現したいと考えている。
2010年9月30日
品種を考える・・・・・・・
この辺りで育てる稲は「コシヒカリ」が普通なので私もそれを選んでいるが、今年は試しに隣人が作っている「とよのさと」という品種を、少し分けてもらい植えてみた。
写真では分かりづらいかもしれないが、手前の黄色くなっているのが「コシヒカリ」、奥のまだ青いのが「とよのさと」である。
同じ時期に植えたものだが、見ての通り大きさがまるで違うし、茎の太さ、実の多さもはっきり違う。
コシヒカリに比べて食味は劣るらしいが、化学肥料、農薬に頼らない農法で育てるには品種も考えなくては・・・・・とこれを見て考えさせられた。
2010年9月23日
あいちトリエンナーレ
今は午後10時で、気温は18度。
昨日まで愛知にいて、連日30度を超す天気だったので
まるで別世界のよう。
今回の旅の目的は友人を訪ねることと、六古窯の一つである常滑へ行くこと、そしてこのあいちトリエンナーレを観に行くことである。
今は色々な地方でアートの祭典が行われるようになったが、名古屋という大都市の街中で開催されることは少ないと思う。
古い問屋街に点在している空きビルを利用して、様々な展示が行われていたが一番驚いたのは地図を手にしながら、それぞれの会場を見て回る人の多さである。
家族連れからシニア層まで幅広い人たちが、熱心に参加して(それも暑い中!)いるのをみて、意外にもアートに対する興味を持っている人が多いことに感心した。
2010年9月15日
「THE HOUSE OF SPIRITS」
現代の分断された空間や時間ではなく、空も大地もあらゆる生き物達もが有機的につながり、時はらせんを描いてゆっくりと再生していく。
そのような世界で生きていた彼らは、土器という形でその世界を表現していたが、その創作のテーマは「死と再生」であったと想像している。
死と生が常に隣り合せで、いつでもその両方の世界を往復できるし、自分と他の生物たちとも常に往来が可能な世界には、名前も形も無い“SPIRITS”たちが満ち満ちていたことだろう。
それらを失ってしまった現代に、もう一度豊饒な世界を取り戻すための“道標“をテーマとした。
高さ 2500 幅 2600 奥行 2200mm
素材 自然木 鉄 古布など
この1ヵ月は公募展に出品する作品作りに没頭していたので、裏の田んぼにさえ行かず、稲の状況がどうなっているのかも分からない有様である。
今回は粘土を使わない作品となったが、テーマとしては今までの延長である。
東北地方に伝わる民間信仰に「オシラサマ」という神様がいる。
木の枝に何重にも布を巻きつけた人形が信仰の対象になるのだが、今回はそれも意識して取り入れている。
(以下の文章は制作意図ととして、作品に添付したもの)
まだ国家が成立する以前、そして人と自然との間に亀裂が生じる前の世界に暮らしていた、この国の先住民(縄文人)たちに思いを馳せている。
現代の分断された空間や時間ではなく、空も大地もあらゆる生き物達もが有機的につながり、時はらせんを描いてゆっくりと再生していく。
そのような世界で生きていた彼らは、土器という形でその世界を表現していたが、その創作のテーマは「死と再生」であったと想像している。
死と生が常に隣り合せで、いつでもその両方の世界を往復できるし、自分と他の生物たちとも常に往来が可能な世界には、名前も形も無い“SPIRITS”たちが満ち満ちていたことだろう。
それらを失ってしまった現代に、もう一度豊饒な世界を取り戻すための“道標“をテーマとした。
2010年9月5日
「甦る縄文の思想」 梅原 猛 ・ 中上 健次
もともと小説はあまり読まない方だが、20代の頃、友人に勧められて読んだ「中上 健次」にハマってしまい、彼の作品はほぼ全部読んだと思う。
彼の作品の舞台となった和歌山県へ、わざわざ出かけたこともあり、若き日の良き思い出につながっている。
彼の小説の魅力は、描かれている人間のうわべの化粧を全部はぎ取って、生々しい「人間の原型」とも言える、骨太な登場人物のドラマが溢れかえっていることである。
精神的に去勢されてしまったような、現代の都市生活者とは対極に位置する中上の世界は、すでに若くして亡くなって20年近くなるが、まるで色あせることがない。
この本は、1985年に梅原 猛と青森のねぶた祭りに参加した際に行われた対談集だが、偶然に図書館で見つけ初めて読むことになった。
彼が縄文について強い関心を持っていた事は、今回初めて知ることになったのだが、”縄文的思想”というものがあるなら、中上健次は間違いなくその継承者の一人である。
数十年ぶりに、彼の作品を読み返してみたくなった。
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