2013年5月25日

長岡から諏訪へ


 新潟県長岡にある製材所が骨董店を経営しており、中々リーズナブルで面白いものが沢山ある、と聞いて出かけてきた。

 広大な敷地に建物が散在し、その中のいくつかに古道具や建具等が納まっている。
 土地が広いのでそれぞれの建物も巨大で、在庫量も圧倒的で、東京周辺では考えられないくらい廉価で買える。

 この地域で解体された古民家、蔵等から出てきたものだが、まだまだ残されているものも多いらしいので、なかなか興味深い場所だ。
 


 もう少し近ければ、度々のぞきに来たいのだが・・・・・・・










新潟から長野、山梨辺りは縄文の聖地でもある。

遺跡の数も多いし、そのレベルも高い。


 もう何度もこの辺りは訪れているが、折角なので幾つかの遺跡を回ってみた。

 特別に新しいものがあったわけではないが、縄文土器と言うのは何度見ても不思議な創造物である。

 造形の感覚が明らかに現代人とは違うし、もっと言えば弥生時代以降に残された物とは全く別物と言えるくらいの断絶感がある。


 縄文人が持っていた文化とは何だったのだろうか?  彼らが文字を持っていなかったのがとても残念だ。










 翌日、少し足を延ばして長野県諏訪郡にある「井戸尻考古館」に向かう。


 新潟で糸井川のヒスイをみたり、おススメのブラック焼きそば等を食べていたらすっかり遅くなってしまい、井戸尻での滞在時間が少なくなってしまった。


 しかし、その少ない時間の中でもここに収容されている土器群は圧倒的な魅力を見せてくれた。
ここの来たのは2回目になるが、何度見てもここのはすばらしい。


 他の地域の土器もそれぞれに個性があるが、井戸尻のものは装飾を超えて”土器に書かれた文学”とも言えるような、奥深さがある。

 それは、その当時の人たちがハッキリとした神話なり、信仰を持っていたからこそ、複雑で重層的な表現が可能だったのだろう。



 いずれにしても、この島国の先住民である縄文人たちの精神世界は興味が尽きない。


2013年5月23日

苗を浮かべる










 4月13日に播いた種もみが5センチほどに育ったので、パレットごと田んぼに移した。

 ここで田植えまでの2週間を過ごすことになる。



 日中の太陽に暖められた田んぼの水は、もうぬるま湯のように暖かいので、苗達はぬくぬくと気持ち良く、どんどん成長を早めるだろう。




 車も入らない狭い山道を、一輪車に乗せた苗箱を何度も田んぼに運ぶ作業をしながら、何世代にもわたり、又はるかに広大な山の田んぼを、ここの村人たちは延々とこんな作業を繰り返したのかな、とツラツラ想う。


 後30年か、40年も経ったらこんな山の田んぼは全て元の山林に還ってしまうのだろうし、ここで稲作などしていたことも、人の記憶から消えてしまうのだろう。





 



 

2013年5月22日

五月の花をのせたシシは、足早に野を駆ける








 田植えまであと2週間、準備も9割方終えた。

イノシシの方は相変わらずで、毎日どこかが掘られているが、いちいち対応していたら大変なので多少の事は目をつむることにしている。




 近所の畑が荒らされて、ジャガイモが全滅・・・・・と聞いた。

 ずっと目をつむっているわけにもいかない。