2012年2月22日

九州島 熊襲の国


明治維新の人々を描いたドラマを観て、西郷や大久保の心の拠り所になっていた「桜島」を観たくなり、急遽、鹿児島に向かった。




海の中に突き出た、巨大な活火山「桜島・御岳」。
なるほど、その存在感は独特のものがあり、富士山とはまた異なった魅力がある。


対岸の浜辺に座り、しばらくその姿を観ていたが、途切れることなく噴煙が上がり、まさしく活きている山であることが、ジンジンと伝わって来る。


人の住む町の近くで、このように大きな活火山と共存している事は、初めて来た旅人にとっては何とも不思議な感じがする。


ここで生まれ育った人にとっては、やはり格別の意味があるのだろう。





上野原遺跡





全国に数万はあると言われている縄文遺跡の8割は東日本にあるが、ここにも一応遺跡はある。


私が知っている範囲では最も南にある遺跡で、規模もそれなりに大きが、出土品に目立ったものは無く、残念ながらもう一つ魅力が無い。



しかし、その先住民である縄文人の流れをくむ人々は、ここでも確かに存在していた。

熊襲(クマソ)、隼人と呼ばれていた者たちだ。

隼人塚
征服された隼人族の怨霊を
治めるために立てられたとされる。


ヤマト政権から”化外の民”とされた東北の蝦夷と同じように、ここでも独自の文化を持った民族が生き続けていたが、やはり殆んど資料が残されてなく、その実像を知るすべは殆んど無い。








トンガリ帽子型の復元住宅
この形は初めて見た。

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