2011年1月29日

枯野に火を放つ

この時期に恒例となっている「草焼き」を行う。

村の衆が6人ほど集まり、注意しながら火をつけていくが、
つい1昨日には、枯草の火事で消防車が何台も来たばかり。



注意はしていても、もう一月も雨が降っていない。

火は思いもかけない勢いで広がっていく。


         
田んぼの脇にあった私のオブジェも、いつの間にか火だるまになっていた。

そろそろ作り変えようと思っていたので、まあいいか。

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2011年1月13日

綱つり




先日、魔除けの作り物を紹介したが、私が住むこの村でも毎年1月12日に、これを用意することになっている。

今は使われていない、村の旧道の入口などに吊るすので「綱吊り」と呼ばれている。




今年は私もお誘いを受けたので(村の一員と認められたか?)、ベテラン女性に手ほどきを受けた。


作り物は3種類で、左から「わらじ」、「スットコ」、「サンダーラ」。













これが「スットコ」。意味は不明。
 わらじは未完成のままにしておく。
「サンダーラ」と呼ばれるもの。米俵のふたの部分に当たるが
なぜこれを吊るすかは不明。






早速、自宅近くにも同じものを拵えて、「綱吊り」を行う。




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2011年1月8日

満月と「コテ」






  東京は昨日氷が張ったそうだが、鴨川は今日が初氷。



仕事の後、バケツに突っ込んであった「コテ」が、そのまま凍りついてしまった。



2011年1月6日

魔除けの作りもの



先月訪ねた「房総の村」で出会った、数々の”魔除け”がとても興味深かった。











ここは昔の房総半島にあった農家や町屋を再現して、当時の村の様子が伝わるようにうまく作られている。


建築物にも興味はあるが、かつて村々の入口に置かれ、災難を避けるために作られた、藁で作ったグッズ達がおもしろい。








ぞうり、タコ、えび、すごろく、そして神様などなど、人は”魔”を避けるために色々な物を創造する。



東北でも藁で出来た、厳めしい巨大な人形を見たことがあるが、おそらく日本中に様々にデザインされた、魔除けの作り物が沢山あったのだろう。







身近にいつも”魔”を感じ、その”魔”をうまくコントロールしながら生活していく感覚は、現代ではすでに萎えているが、人の想像(創造)力のたくましさは何ともオモシロイ。



2011年1月2日

田に浮かぶ 月の船


新年あけましておめでとうございます。


こちらでの定住生活もほぼ3年となり、50年以上住んでいた東京よりも、ここでの生活の方がシックリ来るようになってきた。



たまに東京に戻ると、何だか自分がペラペラの消耗品になったようで、とても居心地が悪い。



今年もここで出会い、ここで考え、ここで感じたことを一つ一つ形にして、表現していくことを続けたい。




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2010年12月31日

暮れの夕日



うちの縁側は夕日の名所、となっている。
デッキも出来たので、ますますその価値が上がったかな! と思う。




   今年も最後の夕日が沈む。


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2010年12月26日

大根マダム







昨日、隣りからいただいた野菜の中に、こんな方が紛れ込んでいました。



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2010年12月25日

「ヤン・リーピン」に感動する


中国の雲南省出身で、国宝級のダンサーと呼ばれているヤン・リーピンが、来年4月に東京公演を行うという新聞記事を最近見た。


残念ながら私はこの人のことを全く知らなかったのだが、新聞記事に載っていた彼女の踊る姿がとても気になり、早速チケットを予約してしまった。






その翌日になってから、ユーチューブで彼女の映像を探し、何本かその舞踏を観ることが出来た。



圧倒されたとは、まさにこの事である。



まるで別の生き物が、その肉体にとり付いたかのごとく、今まで見たことも無い踊りに目が釘付けとなった。


その美しさと、表現者としての圧倒的な存在感が、映像から強烈に伝わり思わず胸が熱くなった。




彼女の来年の舞台を、楽しみに待ちたいと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=kwFHA7DjQcU&feature=related



2010年12月24日

ヌカまき

ここは海に近いせいか、時々強い風が吹きまくり、
庭に置いてあるものが良く飛ばされる。



今日は朝から風が強かった。




田んぼに米ぬかを撒いたが、あまりに風が強くて外に飛んで行ってしまうので、
途中であきらめた。

本当はもっと早い段階で撒かなくてはならないのだが、なかなか思うようヌカが手に入らなくて、今日になってしまった。

2010年12月23日

冬の田に水を張る

 
このブログへの投稿も、ずいぶんと間が空いてしまった。


毎日のようにやるべきことに追われているので、書く事が無くなってしまった分けではないが、
こちらでの定住生活も二年ほど経って、日々の出来事が定番化しつつあり、以前ほどは新鮮な目で見れなくなっているのかも知れない。





昨日は結構雨が降ったので、田んぼは満水状態だが、二枚のうち上の田はどうしても水が抜けやすいので、半分ほど鍬でシロカキをした。


二、三日様子を見て、また抜けてしまえば対策を考えなくてはならない。


この田での稲作は来年が3回目になるが、「不耕起栽培」を取り入れて、無農薬、無肥料でやっていくのを目標としている。

今年は収量がかなり落ちてしまったので、来年は色々やり方を考えて”倍増”させたい。



2010年11月27日

虫と目が合う ・・・・・・ 稲子


今年は例年になく、田んぼにたくさんのイナゴが飛び回っていた。

稲の葉をかじるので「害虫」にされているが、それほど極端な被害は出なかった。











写真を撮ってやろうとゆっくり近づいたところ、彼が突然こちらに振り向いた。

その時に、私の目と彼の目がしっかりと合ったのである。

相手も逃げ出すわけでもなく、互いにしばらくそのまま見つめあう形となった。





このように”虫と目が合う”という経験は無かったので、とても不思議な時間であった。











2010年11月13日

棚田ネットワーク


 NPO法人棚田ネットワークが主催する「第5回東京棚田フェスティバル」に出掛けてきた。

 全国で棚田の保存運動している組織が沢山あり、それをまとめているのがこの棚田ネットワークになる。




 遠くは福岡、高知からも参加していたが、鴨川からは大山千枚田の代表が来ていた。

 午後からは各地域の方が集まりシンポジウムが開かれ、私も参列させてもらった。

 それぞれの地域で棚田の存続のために、様々な取り組みが行われていて心強く思ったが、最大の課題はやはり実際に田んぼを耕作する”担い手”の確保だった。


 これについては、決め手となる解決策は今のところ見当たらない。

 それぞれの地域が、それぞれに工夫をして乗り越えなくてはならない、参加者の話をお聞きして改めて思った。


 なかなかの難問であるのは間違いないが、これに見通しがつかないと棚田も”山林”に戻るしかなくなる。

2010年11月11日

棚田は残せるのか・・・・

  そろそろ季節は秋から冬の入口に近づいてきました。

棚田も秋の田起こしを済ませ、ひっそりとしています。


この太平洋を見下ろす風光明美な棚田も、あと何年くらい生き残っていけるのか・・・・・・?

高齢化による離農がここでも進んでいるので、この田んぼを耕作していく人がどんどん減っている。
鴨川市による「棚田オーナ制度」によってその”延命”を図っているが、肝心の耕作者がいないとそれも続かない。


山の田んぼを農業という生産の場ととらえると、条件が厳しいので難しいなと思うが、ここを都市住民などの農業体験、あるいは交流の場として活かし、多様な人たちが集まり楽しい雰囲気が出てくれば、新しい可能性が少しは見えてくるような気がしている。


地元の人たちだけに負担を求めるのではなく、よそから来た人たちも一緒に、ここの維持、活用を考えてみよう! ということで「鴨川二子棚田保存会」を起こすことにした。


内容については、これから有志の方と詰めていかなくてはならないが、出来るだけ多くの方の参加を望みたい。

2010年10月31日

足踏み4時間。



台風が来る前に終わらせたいと思ったので、一昨日から脱穀を始めた。         


近所の農家に譲ってもらった足ふみ脱穀機を修理して、今回が初めて実戦となる。        

フレームがかなり白アリにやられていたのでどうなる事かと思ったが、期待以上の働きを見せてくれた。


一反程度の田んぼなら、この脱穀機で十分対応できるように思う。

2010年10月23日

これでお仕舞い


  夏の間格闘してきた田んぼ周辺の草々も、今はすっかり秋の装いとなり、優雅さを感じるほどである。


夏から秋への季節の移り変わりは、毎年このような姿を見せてもらうことで、納得出来る。











この作品も手掛け始めて一年半になる。
少しづつ付け加えることで、当初は鉄の枠組みだけだったものが、このように変貌してきた。


持っているテーマは(下の文章を参照してください)変わらないが、感じたことの表現方法が少しづづ変化している。


ただ、もうこれ以上は止めにして、次の作品に向かいいます。




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草や木、虫や魚、カエルやイノシシ、そして人間も、
あらゆる存在物が「スピリット」でつながっている。

生でも死でもない、エネルギーの連続体の中に無数の
「スピリット」が住んでいる。

そんな、現れては消滅してしまう「スピリット」の仮の宿を
表現する。

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2010年10月10日

雨上がりの夕方

  二日続けての雨で、村祭りの御輿が出せなかった。

 この時期に、これ程雨が降ることは少ないので、御輿が出せなかったのは20年振りらしい。

 仕方なしに、集まった村の衆は小さな神殿の一角で酒盛りとなった。
集まった顔触れは毎年同じだが、30代が一人いるだけで、後は60代、70代が中心となり、平均すれば60半ばとなる。

 日本の農業を支える世代の縮図と言えそうだが、本当にこの後に続く世代が、ここにも居ない。
 この御輿も、担ぎ手が居なくなるのは時間の問題だ。


 
  あれほど降った雨も夕方にはすっかり止み、晴れ渡った空には夕刻の太陽が、雲をピンク色に染めていた。

 晴れ間を待って出発した子供達が引く山車が、太鼓の音を山々に響かせていた。



 晴れて良かった。

                     
                     

2010年9月30日

品種を考える・・・・・・・


 この辺りで育てる稲は「コシヒカリ」が普通なので私もそれを選んでいるが、今年は試しに隣人が作っている「とよのさと」という品種を、少し分けてもらい植えてみた。


 写真では分かりづらいかもしれないが、手前の黄色くなっているのが「コシヒカリ」、奥のまだ青いのが「とよのさと」である。

 同じ時期に植えたものだが、見ての通り大きさがまるで違うし、茎の太さ、実の多さもはっきり違う。




 コシヒカリに比べて食味は劣るらしいが、化学肥料、農薬に頼らない農法で育てるには品種も考えなくては・・・・・とこれを見て考えさせられた。

 

2010年9月23日

あいちトリエンナーレ

 
 今は午後10時で、気温は18度。

 昨日まで愛知にいて、連日30度を超す天気だったので
まるで別世界のよう。


 今回の旅の目的は友人を訪ねることと、六古窯の一つである常滑へ行くこと、そしてこのあいちトリエンナーレを観に行くことである。



 今は色々な地方でアートの祭典が行われるようになったが、名古屋という大都市の街中で開催されることは少ないと思う。


 古い問屋街に点在している空きビルを利用して、様々な展示が行われていたが一番驚いたのは地図を手にしながら、それぞれの会場を見て回る人の多さである。

 家族連れからシニア層まで幅広い人たちが、熱心に参加して(それも暑い中!)いるのをみて、意外にもアートに対する興味を持っている人が多いことに感心した。

2010年9月15日

「THE  HOUSE  OF  SPIRITS」



 



         高さ 2500 幅 2600 奥行 2200mm
素材 自然木 鉄 古布など 

   この1ヵ月は公募展に出品する作品作りに没頭していたので、裏の田んぼにさえ行かず、稲の状況がどうなっているのかも分からない有様である。

 今回は粘土を使わない作品となったが、テーマとしては今までの延長である。

 東北地方に伝わる民間信仰に「オシラサマ」という神様がいる。

 木の枝に何重にも布を巻きつけた人形が信仰の対象になるのだが、今回はそれも意識して取り入れている。



(以下の文章は制作意図ととして、作品に添付したもの)

                                                                                  まだ国家が成立する以前、そして人と自然との間に亀裂が生じる前の世界に暮らしていた、この国の先住民(縄文人)たちに思いを馳せている。


 現代の分断された空間や時間ではなく、空も大地もあらゆる生き物達もが有機的につながり、時はらせんを描いてゆっくりと再生していく。


 そのような世界で生きていた彼らは、土器という形でその世界を表現していたが、その創作のテーマは「死と再生」であったと想像している。


 死と生が常に隣り合せで、いつでもその両方の世界を往復できるし、自分と他の生物たちとも常に往来が可能な世界には、名前も形も無い“SPIRITS”たちが満ち満ちていたことだろう。


 それらを失ってしまった現代に、もう一度豊饒な世界を取り戻すための“道標“をテーマとした。



2010年9月5日

「甦る縄文の思想」  梅原 猛 ・ 中上 健次


 もともと小説はあまり読まない方だが、20代の頃、友人に勧められて読んだ「中上 健次」にハマってしまい、彼の作品はほぼ全部読んだと思う。

 彼の作品の舞台となった和歌山県へ、わざわざ出かけたこともあり、若き日の良き思い出につながっている。




 彼の小説の魅力は、描かれている人間のうわべの化粧を全部はぎ取って、生々しい「人間の原型」とも言える、骨太な登場人物のドラマが溢れかえっていることである。

 精神的に去勢されてしまったような、現代の都市生活者とは対極に位置する中上の世界は、すでに若くして亡くなって20年近くなるが、まるで色あせることがない。



 この本は、1985年に梅原 猛と青森のねぶた祭りに参加した際に行われた対談集だが、偶然に図書館で見つけ初めて読むことになった。


 彼が縄文について強い関心を持っていた事は、今回初めて知ることになったのだが、”縄文的思想”というものがあるなら、中上健次は間違いなくその継承者の一人である。


 数十年ぶりに、彼の作品を読み返してみたくなった。