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2015年9月20日

カソリ




 先日、大雨の中を車を飛ばして、千葉市の加曾利貝塚まで行ってきた。

 房総半島の南端に住んでいるので、同じ半島の南北を移動するのに2時間も掛かってしまう。

 ここは二度目の訪問となるが、今回は縄文土器の複製を専門とされる方の展示会が目的です。




 さすがに専門とされている方だけあって、細かい部分まで丁寧に作られ、技術的にも良く研究されていると思います。(写真は別物です。)


 ただ、複製と本物の違いは大きくて、何か大事なものが伝わってきません。


 正確に複製されていても、何か別のものになってしまう・・・・・  
 
 何故でしょうか?
 多分それは微妙な「ねじれや歪み」が訂正されてしまっている!  からだと思います。 




 この辺が縄文と弥生以降を隔てる大きなポイントになるでしょう。





  



2015年9月8日

縄文と弥生のハイブリット





 山梨県立考古博物館で珍しいものを観た。

 まるで縄文の土偶と、弥生の埴輪を合体させたかのような、不思議な作り物だ。


 分類は弥生時代に入っていたが、たぶん縄文から弥生に移っていく時代に作られたものだろう。


 こんなモノを観たのは、初めてです。

久しぶりの釈迦堂








  





6年ぶりに山梨県笛吹市の「釈迦堂遺跡博物館」に寄ってきた。

 中央高速自動車道を造成中に発見された、かなり大規模な縄文遺跡だが、今は遺跡群の上はパーキングエリアになっていて、そこから歩いて行ける丘の上に博物館がある。











全国の色々な縄文遺跡を見てきたが、どこも小高い、見晴らしの良い扇状地にあることが多い。
 ここも丘から見下ろすと、居心地の良さそうな土地であることが分かる。





 もっとも、今は高速道路とクルマしか見えないが・・・・・・・・






2013年5月25日

長岡から諏訪へ


 新潟県長岡にある製材所が骨董店を経営しており、中々リーズナブルで面白いものが沢山ある、と聞いて出かけてきた。

 広大な敷地に建物が散在し、その中のいくつかに古道具や建具等が納まっている。
 土地が広いのでそれぞれの建物も巨大で、在庫量も圧倒的で、東京周辺では考えられないくらい廉価で買える。

 この地域で解体された古民家、蔵等から出てきたものだが、まだまだ残されているものも多いらしいので、なかなか興味深い場所だ。
 


 もう少し近ければ、度々のぞきに来たいのだが・・・・・・・










新潟から長野、山梨辺りは縄文の聖地でもある。

遺跡の数も多いし、そのレベルも高い。


 もう何度もこの辺りは訪れているが、折角なので幾つかの遺跡を回ってみた。

 特別に新しいものがあったわけではないが、縄文土器と言うのは何度見ても不思議な創造物である。

 造形の感覚が明らかに現代人とは違うし、もっと言えば弥生時代以降に残された物とは全く別物と言えるくらいの断絶感がある。


 縄文人が持っていた文化とは何だったのだろうか?  彼らが文字を持っていなかったのがとても残念だ。










 翌日、少し足を延ばして長野県諏訪郡にある「井戸尻考古館」に向かう。


 新潟で糸井川のヒスイをみたり、おススメのブラック焼きそば等を食べていたらすっかり遅くなってしまい、井戸尻での滞在時間が少なくなってしまった。


 しかし、その少ない時間の中でもここに収容されている土器群は圧倒的な魅力を見せてくれた。
ここの来たのは2回目になるが、何度見てもここのはすばらしい。


 他の地域の土器もそれぞれに個性があるが、井戸尻のものは装飾を超えて”土器に書かれた文学”とも言えるような、奥深さがある。

 それは、その当時の人たちがハッキリとした神話なり、信仰を持っていたからこそ、複雑で重層的な表現が可能だったのだろう。



 いずれにしても、この島国の先住民である縄文人たちの精神世界は興味が尽きない。


2012年2月22日

九州島 熊襲の国


明治維新の人々を描いたドラマを観て、西郷や大久保の心の拠り所になっていた「桜島」を観たくなり、急遽、鹿児島に向かった。




海の中に突き出た、巨大な活火山「桜島・御岳」。
なるほど、その存在感は独特のものがあり、富士山とはまた異なった魅力がある。


対岸の浜辺に座り、しばらくその姿を観ていたが、途切れることなく噴煙が上がり、まさしく活きている山であることが、ジンジンと伝わって来る。


人の住む町の近くで、このように大きな活火山と共存している事は、初めて来た旅人にとっては何とも不思議な感じがする。


ここで生まれ育った人にとっては、やはり格別の意味があるのだろう。





上野原遺跡





全国に数万はあると言われている縄文遺跡の8割は東日本にあるが、ここにも一応遺跡はある。


私が知っている範囲では最も南にある遺跡で、規模もそれなりに大きが、出土品に目立ったものは無く、残念ながらもう一つ魅力が無い。



しかし、その先住民である縄文人の流れをくむ人々は、ここでも確かに存在していた。

熊襲(クマソ)、隼人と呼ばれていた者たちだ。

隼人塚
征服された隼人族の怨霊を
治めるために立てられたとされる。


ヤマト政権から”化外の民”とされた東北の蝦夷と同じように、ここでも独自の文化を持った民族が生き続けていたが、やはり殆んど資料が残されてなく、その実像を知るすべは殆んど無い。








トンガリ帽子型の復元住宅
この形は初めて見た。

2011年10月8日

ジョウモンの旅 - 北東北編④

さすがに青森はリンゴの町。
街道沿いに延々とリンゴ畑が広がり、そのスケールの大きさに驚く。

丁度今は収穫期を迎えたようで、甘い香りが辺りに漂っている。
(宿の風呂にも、リンゴが沢山浮かんでいた。)



そんなリンゴ畑を横目に見ながら、5,6日目は岩手県に入る。

北東北と北海道の南部を、縄文文化をテーマにした世界遺産に登録させたいらしく、この地域で色々運動をしているようだ。
資料館なども新築・改装されたところが多く、力の入れ具合が良く分かる。


よく縄文は日本の”基層文化”である、という言い方をされるが、本当にそうだろうか?
確かに、この島国の先住民は縄文人であるから、見えない地下水のようにその影響はあるのかもしれない。

しかし、現代のどこを見渡してみても、縄文をベースにした文化の産物など探すのは難しいし、むしろ弥生以降は全く別の文化が支配したと考えた方が良い。

「縄文の神」と「弥生の神」は全く別物だ。


それでもあえて探すとなると、日常を離れた風俗習俗の中に、ひっそりと生き残っているものに注意を向けるしかない。
オシラサマ
それは最初に取り上げた「ナマハゲ」だったり、この地域で続けられていた「オシラサマ」などのような民間信仰の中に、その片鱗が息づいていたように思う。 


遠野盆地
山々は日を受け明るく、田も黄金色に
輝やき美しい場所だった。
縄文的なものとそうでないものとは、一体どこで線引きをするのか?
これは自分でも、ハッキリと言葉で表すのは難しい。

”自分を取り囲む、見えない力に対して有機的な関係を持っているかどうか”・・・・・  小難しく言えばそんなところになる。


作品の題名にスピリッツ(精霊)の文字を入れることが多いが、それも「見えない力」を意識してのこと。

悪路王とされた蝦夷のリーダー「アテルイ」
旅の最後に北上市にある「鬼の館」に寄ってきた。

東北には沢山の鬼がいる。
ナマハゲももちろんその仲間だが、北のエミシたちは全て鬼にされたのではないか。
「ススカ」
ナマハゲと似た存在だが
こちらは大船渡に現れる。
縄文的なるものを求めて、6日間で2.500キロを足り回ったのでだいぶ疲れた。
見たいものが沢山あるので、ついつい盛り込みすぎる。

でも東北にはまだまだ面白い物が、コロがっていそうな気がする。
次回は的をもっと絞ってから訪れたい。  

2011年10月6日

ジョウモンの旅 - 北東北編 ③

三・四日目は青森に入る。

いくつもの遺跡、資料館を駆け足で見て回っているので、だいぶ頭が混乱してきた。











津軽地方は、このような明治・大正に建てられた洋館が多いそうだ。
縄文とは全く関係ないが、和洋折衷のこのような建物に最近興味を持っている。

和と洋を独自にミックスしているところが面白い。

機会があれば、そのようなものも見て回りたいと思う。

津軽平野のどこからも、この岩木山が見える。
そしてこの山の周辺に、沢山の遺跡が残されている。



クマ
イノシシ



八戸の「是川遺跡」からは、縄文晩期の土器・土偶が数多く出土している。
一般的に縄文晩期の出土品は「亀ヶ岡式」と呼ばれるが、技術的にも高度であり、繊細なデザインのものが多い。

漆を施したものも沢山あり、色彩、形、技術などが結集し、これらが縄文土器のひとつの到達点であるともいえる。

ただ、縄文中期にあった妖しげなでダイナミックなところが薄くなっているので、私にはやや不満である。
                
国宝となった”合掌する土偶”は
別室で厳重に管理されていた。






西洋の冠を思わせるようなデザイン
非常に薄く焼き上げているので、実用品
ではなく、別の用途があったと思われる。