・・・かねてよりこの南房総という土地に心引かれ、鴨川市二子という村で築百数十年の古農家に出会い、ここに居を構える。 この村でより土に近い生活を送りながら、ここで出会った”神々”達と心を通わせ、その姿を様々な形で表現したいと考えている。
2011年3月24日
黄色い花
地震の後、しばらく鴨川を離れていて、昨日10日振りに戻ってきた。
途中、知人のところに寄ってきたが、鴨川の廃校となった小学校に、地震被災者を向かい入れるために奔走していた。
たまたま居合わせたので、布団を運び入れる手伝いを、少しだけさせてもらった。
原発の事故による汚染問題で、わが身を守るために関東から逃げ出す人も大勢いるが、こうして自分のことよりも他人のために働こうとしている人もたくさんいる。
全く頭の下がる思いである。
昨年から突然、裏庭にこの黄色い花が咲くようになった。多分スイセン(?)だと思うが、他にまだ花らしいものが見当たらない中で、その鮮やかさと、凛々しい姿がひときわ目立つ。
少々”ゲンパツ疲れ”が出てきた自分には、そんな他愛もないことに心が動く。
まずは自分の無知を恥じなくてはならないが、エネルギーを原子力に頼ることは、誰にも背負いきれないような高いリスクを背負うことだと思い知った。
ただ,あまり右往左往してもしょうがないので、自分で出来ることを淡々と進めるつもりだ。
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2011年3月18日
3・11 天災と人災
巨大な天災と、それを上回るような人災が進行中である。
大津波が街や田畑を飲みこんでいく映像には、生涯忘れられないような衝撃を受けたが、現在も拡大しつつある原発事故は、もしかしたらその津波を飲み込むような結果を残す可能性が・・・・。
私も原発の危険性については、耳の端に乗っかる程度には意識していたが、いざ目の前に突きつけられると、私たちはトンデモナイ怪物を、身近に飼っていたことを思い知らされる。
この事故はまだ決着が付いたわけではないし、様々な情報が乱れ飛んでるのでどうも先が見えづらいが、福島県周辺に人が住めなくなるような、最悪の結果にならないことを祈るばかりだ。
いずれにしても今回の天災と人災は、この国の未来に対して、大きな変換点を示した様な気がする。
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大津波が街や田畑を飲みこんでいく映像には、生涯忘れられないような衝撃を受けたが、現在も拡大しつつある原発事故は、もしかしたらその津波を飲み込むような結果を残す可能性が・・・・。
私も原発の危険性については、耳の端に乗っかる程度には意識していたが、いざ目の前に突きつけられると、私たちはトンデモナイ怪物を、身近に飼っていたことを思い知らされる。
この事故はまだ決着が付いたわけではないし、様々な情報が乱れ飛んでるのでどうも先が見えづらいが、福島県周辺に人が住めなくなるような、最悪の結果にならないことを祈るばかりだ。
いずれにしても今回の天災と人災は、この国の未来に対して、大きな変換点を示した様な気がする。
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2011年3月10日
虹の海 春の雲
二日ほど、PCの前に向かっているようなことをしていたので、いい加減イヤになり外へ出た。
水平線から真っすぐ上に、虹が立ち昇っていた。
春の雲が、夕刻の太陽に照らし出されている。
何とも美しい。
こんな雲、おかしな雲。
2011年3月9日
代掻き
3月に入ると、周りの田んぼは一斉に田植えの準備が始まる。
水を張って、もう準備完了という田んぼも見受けられる。
私の田植えは6月なので、準備はもうちょっと後でも良いし、本来「不耕起栽培」を目指しているので土はいじりたくないのだが、どうしても水が抜けやすい田もあるので、妥協してシロカキを行った。
今どき、クワ一丁でやる私の作業は、近所の人から憐みの目で見られるが、私はこの田んぼにクワを入れる作業が、結構気に入っている。
確かに重労働ではあるが、土の重さと水の冷たさを感じながら、黙々と同じ作業を繰り返していると、頭の中は結構クリアになり色々なことを思い付く。
また、度々息切れして手を休めるのだが、その時に聞こえてくる鳥の声、虫の音、空の青さにに気づく一瞬も、かなり気に入っている。
水を張って、もう準備完了という田んぼも見受けられる。
私の田植えは6月なので、準備はもうちょっと後でも良いし、本来「不耕起栽培」を目指しているので土はいじりたくないのだが、どうしても水が抜けやすい田もあるので、妥協してシロカキを行った。
今どき、クワ一丁でやる私の作業は、近所の人から憐みの目で見られるが、私はこの田んぼにクワを入れる作業が、結構気に入っている。
確かに重労働ではあるが、土の重さと水の冷たさを感じながら、黙々と同じ作業を繰り返していると、頭の中は結構クリアになり色々なことを思い付く。
また、度々息切れして手を休めるのだが、その時に聞こえてくる鳥の声、虫の音、空の青さにに気づく一瞬も、かなり気に入っている。
2011年3月5日
春、一番鳥が鳴く。
今日の夕方、畑にいたら突然ウグイスが鳴いた。
今年の春一番鳥である。
カエルは水の匂いを頼りに、
数キロ先からも卵を産みに来るらしいが、
冬も水を張っている我が家の田んぼには、
すでに出産済み。
すでに出産済み。
タンポポが咲き、土筆が頭を持ち上げる。
春がグングン近づいてくる。
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2011年2月18日
火山と縄文
火山活動を続ける新燃岳。
火口に登る噴煙の姿が「巨人」見えたのが面白くて(被害にあっている方には申し訳ないが)、これをテーマにいくつかオブジェを作っている。
地球全体が”活火山”であることを思い知らせてくれるのは、地震と火山の噴火である。
この星は、人間が作り上げた、たかだか数千年程度の文化や文明などとは無関係に、この惑星独自の生理と思考によって、億年単位の尺度で止まることなく活き続けている。
人間がこの星の主人公であるかのような錯覚を、このように時々打ち破ってもらった方が我々には良い”薬”になる。
縄文の土器と火山とは、大きな繋がりがあるように感じている。
約10万年前から大噴火が繰り返されて富士山の土台が出来上がるが、約1万年前に新富士火山の噴火活動が始まり、現在の富士山(原型)が形作られる。
現在の富士山が形作られるまでには、多くの噴火があり、またそれ以降も300年前までは定期的な火山活動が繰り返されてきました。つまり縄文時代は富士山がまだ大きな活動を続けていたのである。
新燃岳程度の山(標高1421m)でも結構な迫力があるが、それが富士山クラスの山の噴火を間近で目撃したとしたら・・・・・・・。
想像するだけで戦慄を覚えるが、当時の人たちにとっては、非常に大きな心理的影響を受けたことだろう。
富士山の麓に当たる諏訪地方には、優れた縄文土器がたくさん残されているが、この事とは無関係ではないはずだ。
縄文の人たちが、自分たちが置かれている世界を考えるとき、生命活動を生々しく伝える大地の姿に、大きな影響を受けるのは当然のことである。
ましてや狩猟・採集をメインとした、最も自然に近い生活を送っていたわけであるから、その影響の受け方はとてつもなく大きなものであったはずだ。
今回の噴火で、改めてそのことを強く感じた。
○
火口に登る噴煙の姿が「巨人」見えたのが面白くて(被害にあっている方には申し訳ないが)、これをテーマにいくつかオブジェを作っている。
地球全体が”活火山”であることを思い知らせてくれるのは、地震と火山の噴火である。
この星は、人間が作り上げた、たかだか数千年程度の文化や文明などとは無関係に、この惑星独自の生理と思考によって、億年単位の尺度で止まることなく活き続けている。
人間がこの星の主人公であるかのような錯覚を、このように時々打ち破ってもらった方が我々には良い”薬”になる。
縄文の土器と火山とは、大きな繋がりがあるように感じている。
約10万年前から大噴火が繰り返されて富士山の土台が出来上がるが、約1万年前に新富士火山の噴火活動が始まり、現在の富士山(原型)が形作られる。
現在の富士山が形作られるまでには、多くの噴火があり、またそれ以降も300年前までは定期的な火山活動が繰り返されてきました。つまり縄文時代は富士山がまだ大きな活動を続けていたのである。
想像するだけで戦慄を覚えるが、当時の人たちにとっては、非常に大きな心理的影響を受けたことだろう。
富士山の麓に当たる諏訪地方には、優れた縄文土器がたくさん残されているが、この事とは無関係ではないはずだ。
縄文の人たちが、自分たちが置かれている世界を考えるとき、生命活動を生々しく伝える大地の姿に、大きな影響を受けるのは当然のことである。
ましてや狩猟・採集をメインとした、最も自然に近い生活を送っていたわけであるから、その影響の受け方はとてつもなく大きなものであったはずだ。
今回の噴火で、改めてそのことを強く感じた。
○
2011年2月14日
その後の「月の船」
先週は、鴨川も少し雪が積もった。
こちらで雪が降ったのは5年ぶりくらいかな。
でも寒さが厳しい方が、星はよく見える気がする。
今夜も”冴えわたった月”が鑑賞できるかもしれない。
(ほとんど夜は外に出ないが・・・・・・)
田んぼに冬も水を溜めて・・・・と思っていたが、ひと月も降らないと
干上がってしまう。
仕方なく、浮かべていた”船”を、こうして畔に移動することになった。
・
2011年1月29日
枯野に火を放つ
2011年1月13日
綱つり
2011年1月8日
2011年1月6日
魔除けの作りもの
先月訪ねた「房総の村」で出会った、数々の”魔除け”がとても興味深かった。
ここは昔の房総半島にあった農家や町屋を再現して、当時の村の様子が伝わるようにうまく作られている。
建築物にも興味はあるが、かつて村々の入口に置かれ、災難を避けるために作られた、藁で作ったグッズ達がおもしろい。
ぞうり、タコ、えび、すごろく、そして神様などなど、人は”魔”を避けるために色々な物を創造する。
東北でも藁で出来た、厳めしい巨大な人形を見たことがあるが、おそらく日本中に様々にデザインされた、魔除けの作り物が沢山あったのだろう。
身近にいつも”魔”を感じ、その”魔”をうまくコントロールしながら生活していく感覚は、現代ではすでに萎えているが、人の想像(創造)力のたくましさは何ともオモシロイ。
・
2011年1月2日
田に浮かぶ 月の船
新年あけましておめでとうございます。
こちらでの定住生活もほぼ3年となり、50年以上住んでいた東京よりも、ここでの生活の方がシックリ来るようになってきた。
たまに東京に戻ると、何だか自分がペラペラの消耗品になったようで、とても居心地が悪い。
今年もここで出会い、ここで考え、ここで感じたことを一つ一つ形にして、表現していくことを続けたい。
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2010年12月31日
暮れの夕日
うちの縁側は夕日の名所、となっている。
デッキも出来たので、ますますその価値が上がったかな! と思う。
今年も最後の夕日が沈む。
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2010年12月26日
2010年12月25日
「ヤン・リーピン」に感動する
中国の雲南省出身で、国宝級のダンサーと呼ばれているヤン・リーピンが、来年4月に東京公演を行うという新聞記事を最近見た。
残念ながら私はこの人のことを全く知らなかったのだが、新聞記事に載っていた彼女の踊る姿がとても気になり、早速チケットを予約してしまった。
その翌日になってから、ユーチューブで彼女の映像を探し、何本かその舞踏を観ることが出来た。
圧倒されたとは、まさにこの事である。
まるで別の生き物が、その肉体にとり付いたかのごとく、今まで見たことも無い踊りに目が釘付けとなった。
その美しさと、表現者としての圧倒的な存在感が、映像から強烈に伝わり思わず胸が熱くなった。
彼女の来年の舞台を、楽しみに待ちたいと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=kwFHA7DjQcU&feature=related
・
2010年12月24日
ヌカまき
ここは海に近いせいか、時々強い風が吹きまくり、
庭に置いてあるものが良く飛ばされる。
今日は朝から風が強かった。
田んぼに米ぬかを撒いたが、あまりに風が強くて外に飛んで行ってしまうので、
途中であきらめた。
本当はもっと早い段階で撒かなくてはならないのだが、なかなか思うようヌカが手に入らなくて、今日になってしまった。
庭に置いてあるものが良く飛ばされる。
今日は朝から風が強かった。
田んぼに米ぬかを撒いたが、あまりに風が強くて外に飛んで行ってしまうので、
途中であきらめた。
本当はもっと早い段階で撒かなくてはならないのだが、なかなか思うようヌカが手に入らなくて、今日になってしまった。
2010年12月23日
冬の田に水を張る
このブログへの投稿も、ずいぶんと間が空いてしまった。
毎日のようにやるべきことに追われているので、書く事が無くなってしまった分けではないが、
こちらでの定住生活も二年ほど経って、日々の出来事が定番化しつつあり、以前ほどは新鮮な目で見れなくなっているのかも知れない。
昨日は結構雨が降ったので、田んぼは満水状態だが、二枚のうち上の田はどうしても水が抜けやすいので、半分ほど鍬でシロカキをした。
二、三日様子を見て、また抜けてしまえば対策を考えなくてはならない。
この田での稲作は来年が3回目になるが、「不耕起栽培」を取り入れて、無農薬、無肥料でやっていくのを目標としている。
今年は収量がかなり落ちてしまったので、来年は色々やり方を考えて”倍増”させたい。
2010年11月27日
虫と目が合う ・・・・・・ 稲子
今年は例年になく、田んぼにたくさんのイナゴが飛び回っていた。
稲の葉をかじるので「害虫」にされているが、それほど極端な被害は出なかった。
写真を撮ってやろうとゆっくり近づいたところ、彼が突然こちらに振り向いた。
その時に、私の目と彼の目がしっかりと合ったのである。
相手も逃げ出すわけでもなく、互いにしばらくそのまま見つめあう形となった。
このように”虫と目が合う”という経験は無かったので、とても不思議な時間であった。
2010年11月13日
棚田ネットワーク
NPO法人棚田ネットワークが主催する「第5回東京棚田フェスティバル」に出掛けてきた。
全国で棚田の保存運動している組織が沢山あり、それをまとめているのがこの棚田ネットワークになる。
遠くは福岡、高知からも参加していたが、鴨川からは大山千枚田の代表が来ていた。
午後からは各地域の方が集まりシンポジウムが開かれ、私も参列させてもらった。
それぞれの地域で棚田の存続のために、様々な取り組みが行われていて心強く思ったが、最大の課題はやはり実際に田んぼを耕作する”担い手”の確保だった。
これについては、決め手となる解決策は今のところ見当たらない。
それぞれの地域が、それぞれに工夫をして乗り越えなくてはならない、参加者の話をお聞きして改めて思った。
なかなかの難問であるのは間違いないが、これに見通しがつかないと棚田も”山林”に戻るしかなくなる。
2010年11月11日
棚田は残せるのか・・・・
そろそろ季節は秋から冬の入口に近づいてきました。
棚田も秋の田起こしを済ませ、ひっそりとしています。
この太平洋を見下ろす風光明美な棚田も、あと何年くらい生き残っていけるのか・・・・・・?
高齢化による離農がここでも進んでいるので、この田んぼを耕作していく人がどんどん減っている。
鴨川市による「棚田オーナ制度」によってその”延命”を図っているが、肝心の耕作者がいないとそれも続かない。
山の田んぼを農業という生産の場ととらえると、条件が厳しいので難しいなと思うが、ここを都市住民などの農業体験、あるいは交流の場として活かし、多様な人たちが集まり楽しい雰囲気が出てくれば、新しい可能性が少しは見えてくるような気がしている。
地元の人たちだけに負担を求めるのではなく、よそから来た人たちも一緒に、ここの維持、活用を考えてみよう! ということで「鴨川二子棚田保存会」を起こすことにした。
内容については、これから有志の方と詰めていかなくてはならないが、出来るだけ多くの方の参加を望みたい。
棚田も秋の田起こしを済ませ、ひっそりとしています。
この太平洋を見下ろす風光明美な棚田も、あと何年くらい生き残っていけるのか・・・・・・?
高齢化による離農がここでも進んでいるので、この田んぼを耕作していく人がどんどん減っている。
鴨川市による「棚田オーナ制度」によってその”延命”を図っているが、肝心の耕作者がいないとそれも続かない。
山の田んぼを農業という生産の場ととらえると、条件が厳しいので難しいなと思うが、ここを都市住民などの農業体験、あるいは交流の場として活かし、多様な人たちが集まり楽しい雰囲気が出てくれば、新しい可能性が少しは見えてくるような気がしている。
地元の人たちだけに負担を求めるのではなく、よそから来た人たちも一緒に、ここの維持、活用を考えてみよう! ということで「鴨川二子棚田保存会」を起こすことにした。
内容については、これから有志の方と詰めていかなくてはならないが、出来るだけ多くの方の参加を望みたい。
2010年10月31日
足踏み4時間。
台風が来る前に終わらせたいと思ったので、一昨日から脱穀を始めた。
近所の農家に譲ってもらった足ふみ脱穀機を修理して、今回が初めて実戦となる。
フレームがかなり白アリにやられていたのでどうなる事かと思ったが、期待以上の働きを見せてくれた。
一反程度の田んぼなら、この脱穀機で十分対応できるように思う。
2010年10月23日
これでお仕舞い
夏の間格闘してきた田んぼ周辺の草々も、今はすっかり秋の装いとなり、優雅さを感じるほどである。
夏から秋への季節の移り変わりは、毎年このような姿を見せてもらうことで、納得出来る。
この作品も手掛け始めて一年半になる。
少しづつ付け加えることで、当初は鉄の枠組みだけだったものが、このように変貌してきた。
持っているテーマは(下の文章を参照してください)変わらないが、感じたことの表現方法が少しづづ変化している。
ただ、もうこれ以上は止めにして、次の作品に向かいいます。
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草や木、虫や魚、カエルやイノシシ、そして人間も、
あらゆる存在物が「スピリット」でつながっている。
生でも死でもない、エネルギーの連続体の中に無数の
「スピリット」が住んでいる。
そんな、現れては消滅してしまう「スピリット」の仮の宿を
表現する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2010年10月10日
雨上がりの夕方
二日続けての雨で、村祭りの御輿が出せなかった。
この時期に、これ程雨が降ることは少ないので、御輿が出せなかったのは20年振りらしい。
仕方なしに、集まった村の衆は小さな神殿の一角で酒盛りとなった。
集まった顔触れは毎年同じだが、30代が一人いるだけで、後は60代、70代が中心となり、平均すれば60半ばとなる。
日本の農業を支える世代の縮図と言えそうだが、本当にこの後に続く世代が、ここにも居ない。
この御輿も、担ぎ手が居なくなるのは時間の問題だ。
あれほど降った雨も夕方にはすっかり止み、晴れ渡った空には夕刻の太陽が、雲をピンク色に染めていた。
晴れ間を待って出発した子供達が引く山車が、太鼓の音を山々に響かせていた。
晴れて良かった。
この時期に、これ程雨が降ることは少ないので、御輿が出せなかったのは20年振りらしい。
仕方なしに、集まった村の衆は小さな神殿の一角で酒盛りとなった。
集まった顔触れは毎年同じだが、30代が一人いるだけで、後は60代、70代が中心となり、平均すれば60半ばとなる。
日本の農業を支える世代の縮図と言えそうだが、本当にこの後に続く世代が、ここにも居ない。
この御輿も、担ぎ手が居なくなるのは時間の問題だ。
あれほど降った雨も夕方にはすっかり止み、晴れ渡った空には夕刻の太陽が、雲をピンク色に染めていた。
晴れ間を待って出発した子供達が引く山車が、太鼓の音を山々に響かせていた。
晴れて良かった。
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