・・・かねてよりこの南房総という土地に心引かれ、鴨川市二子という村で築百数十年の古農家に出会い、ここに居を構える。 この村でより土に近い生活を送りながら、ここで出会った”神々”達と心を通わせ、その姿を様々な形で表現したいと考えている。
2008年10月15日
富士山焼き
囲炉裏を新しく作り直してから、3回目の土器焼成を始める。
粘土で成形したものを炭で囲み、さらにそれを灰で覆う。
灰で覆うのは空気の量を制限し、ゆっくり時間をかけて焼くためである。
今回は6点がこの中に入っている。
急激に温度が上がると、割れてしまう可能性が高くなる。
一般的に土器は、薪を組んだ「野焼き」で行われることが多いが、この方がはるかに失敗が少ないし、きれいに焼ける。
古代より住居の中には必ず”炉”があったので、この方法で土を焼くことは、その生活実態と無理なく結びつく。
頂上の炭に着火してから2日間、ただじっと待つだけである。
今日作業中に、灰を盛り上げた姿が、まるで雪をかぶった”富士山”の様であることに気がついた。
それで「富士山焼き」という名を思いついた。
2008年10月2日
2008年9月25日
七鈴鏡 - 峯岡遺跡
2008年9月19日
姫と老人
2008年9月18日
日米の先住民
ですから、あの人たちが一体どういうものの考え方をしているか、ということを考えてみると、一万数千年前にユーラシアの北の当たりにいた人たち、モンゴロイドと言われた人たちが、いったい何を考えていたかというのが、ある程度推測が出来るわけです。
それを照らし合わせてみると、日本でいわゆる縄文といわれているものが、決して日本列島の中に閉じ込められたものではなくて、南にも北にも大きく広がっていく世界で、その記憶をアメリカ先住民の人たちはいまだに強く持っていることが見えてきます。
(「東北ルネッサンス」 赤坂憲雄×中沢新一より抜粋)
アメリカ合衆国はせいぜい建国200年程度の国。それまでは先住民インディアン達の世界だった。
ということはアメリカは200年前まで縄文時代だった、とも言えるのだ(!)
彼らの考え方を知ることは、日本の歴史の深層を知ることにつながる。
2008年9月17日
2008年9月10日
2008年9月1日
青空の蝶
2008年8月26日
「蝸牛 カタツムリ」
私たちが所属する天の川銀河は、数千億の恒星からできている。
またこの宇宙にはこのような銀河が、数千億存在しているという。
つまり、宇宙には少なくとも1000億の1000億倍以上の恒星があるということ。
現在の宇宙は、誕生から約137億年経っているらしいが、現在でも急速に膨張を続け拡大している。しかし、いつかは収縮に変転し、消滅しまた無に還る。
そして再びビッバンを起こし、宇宙の生成を始め拡大していく。
最新の理論によると、現在の宇宙は50回目の再生ということになっている。つまりこの宇宙自身も、再生と終焉を繰り返しているということになる。
もしかしたらこのような宇宙が、他にも無数に存在し、終焉と再生とを繰り返しているとしたら・・・・・・。
目まいがします。
万物は流転する------
”渦巻き銀河”を背に乗せて、蝸牛はゆるりと歩む。
2008年8月23日
「ネイティブ・ジャパニーズ」ということ
この鴨川の隣に和田町という、昔は捕鯨で栄えた漁師町がある。 数年前、その町のカフェで北山耕平氏の講演があることをポスターで知り、出かけて行った。
店には”ブック&カフェ”とたいそうな看板が付いていたが、昭和初期に建てられた漁師の小民家を少し改装し、畳敷きにちゃぶ台を並べただけのシンプルな作りである。
私はそれまで北山氏の名前を知らなかったが、講演の案内ポスターに”縄文・・・”の文字を見つけ興味を持った。
氏は元々ネイティブ・アメリカンの研究、紹介をされている方であるが、そこになぜ”縄文”が出てくるのか・・・・・
そこで教わったことは「ネイティブ」という生き方、考え方である。
ネイティブの辞書的な意味は「先住の、もともとある、原産の、その土地の人」ということだが、北山氏の考えるそれを私なりにまとめると、「大地と緊密なつながりを持ち、あらゆるものを有機的に再生し続ける、そのような考え方を持って、生活を送っている人々」ということになる。
以前は地球上のあらゆる場所で(今は少数民族として)、その土地と自然の声に耳を傾け生活する人々が大勢を占めていたが、人の作り上げた「文明」によって、それらの声を聞く耳はすっかり衰えてしまった。
21世紀に入り、その「文明」が大きな転換点を向かえているが、その転換点の向こう側を知るには、もう一度「ネイティブ」な心を思い出すしかないと思う。
そこからネイティブ・ジャパニーズ=縄文が導き出されるのだが、この国の先住民であり、”ネイティブな心”を持っていたと想像される縄文人のことを考えることは、決して考古学的な意味ではなく、未来の生き方の選択の問題である。
2008年8月22日
2008年8月13日
2008年8月8日
青森・ねぶた・縄文
昨日までの2日間、青森に滞在
した。目的は「ねぶた祭り」と縄文
最大の遺跡である「三内丸山」で
ある。
結論から言ってしまうと、こちらの思い込みが強すぎたせいか、両方ともやや肩透かしであった。
ねぶたは東北を代表する祭りであり、そこに暮らす人々の歴史と 思いを表現する場であったはずだが、今では妙に統制がとれており、こじんまりした印象を受けてしまった。
三内丸山も、およそ200世帯の縄文人が1500年間暮らした足跡を残す、考古学的には貴重な場所ではあると思うが、出土された土器類 にはあまり見るべきものがなく、ちょっと残念だった。
「棟方志功」(ムナカタ シコウ)の再発見である。
この東北生まれの”板画”アーティストについては、
もちろん、その存在は知っていたつもりだが、今回
改めて2ヵ所の美術館でその作品をじっくり観ることができた。
本人も述べているように、その作品には「ねぶた」の影響を大きく受けているし、「縄文的」なる精神の正統的な継承者である、との確信を受けた。
東北の地でこの作品群に出合ったことが、私自身の再発見に繋がったと思うが、ムナカタはこの国を代表する、アートの巨人であることは間違いない。
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